あかんたれブルース

継続はチカラかな

勝負の掟

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 勝ち負けの件。少しケーススタディで展開しましょう。

 島村速雄は日露戦争の前半で海軍の参謀長だった土佐人です。
 途中で黄海海戦の不首尾の責任を取って自ら降格した人物。

 この人は立派な気持ちの良い人でして、
 栄達とか名誉欲というのがまったく無い!
 もう手柄はみんな他人にやってしまう。そんな人が明治に結構いるんだな。

 だからと言って、彼が単なる「良い人」だけじゃないですよ。
 海軍の至宝と言われ、その戦略戦術は当時最高の軍人でした。
 じゃないと連合艦隊参謀長なんて役職には就けない。
 私は日露戦争の勝利の影の立役者はこの島村速雄だと確信しています。
 この件にいちゃもんを付けられる専門家はまずいない。事実なんだから

 さて、このファンションセンター島村ならぬ速男さんが
 旅順港閉塞作戦の中で敵将マカロフ司令官との死闘の真っ最中に、
 部下の参謀・秋山真之を一喝した。

 「待て! 瀕死の戦傷者をうち捨てて行くとは何事ぞ、
  とにかく作業(救出活動)を続行せんか」の大音声だ。

 この時、秋山は焦っていました。目前に敵将の旗艦がいる。
 これをやっつければ勝敗は決すると、作業を中断して追撃行動を命じた。
 それに普段は温厚な島村の雷だ。秋山は呆然自失。

 ここで私たちは考える。戦争という非常事態でその最大の目的は勝つこと。
 多少の犠牲は払っても肉を斬らせて骨を斬ることに意義があるのではないか。と
 しかし、島村はそれを許さない。
 それを人道主義者とか建前主義者とか批判する人もいるでしょう。
 時代か? 

 明治という時代はそれまで武士道精神に対して急激な欧米の合理主義が入ってきた時代です。
 それを現在のグローバルスタンダードとあてはめてもいい。
 成果主義、結果優先、手段を選ばない現実主義。
 だから島村の好意を甘いと考えてしまうことは容易です。

 秋山は不満だったことでしょう。せっかくのチャンスを。と

 秋山は天才作戦家です。所謂戦術家として合理主義者である。

 日露戦争の立役者は司令長官の東郷平八郎とこの秋山真之というのが常識。

 でもね、後智恵後口上ですが、この後、敵司令官は機雷で戦死してしまう。
 でも戦局はなんら変わらない。だから陸軍の旅順攻略につながっていく。
 
 その旅順攻めが難航して大被害となり、責任者の乃木は世間からパッシングを受けます。
 その時、秋山の激励の書簡が残っています。
 「旅順で何万人死のうがそれで日本は勝てる」
 彼は合理主義者でした。

 けれども、そうじゃないんだなあ。旅順の話はまた別な機会にしますね。

 この天才秋山を主席参謀に推薦したのが島村でした。
 「作戦は天才がやるべきものだ」として。
 で、本人は自らを左遷して第二艦隊の指揮官になっている。

 そして、天王山のバルチック艦隊の死闘前夜。

 敵艦艦隊が日本海から来るか太平洋から来るかで意見は真っ二つ。
 肝心の秋山はそのプレッシャーで精神膠着状態でパーです。

 そこにずぶ濡れの島村速雄が現れた!
 「敵に戦いを知る者があれば、必ず日本海対馬コースを通る!」
 この一言で決します。

 合理主義は確かに効果的な方法論ではある。それは認めます。
 しかし、島村は決して合理主義だけの人物ではない。
 彼の胆力とは何か。
 勝負の本質で必要なものはこの確信を導く胆力にあります。

 リスクを回避することは重要ですが、
 回避ばかりでは勝機はつかめない。
 リスクを軽減することは重要ですが、
 そのリスクを認め逃げないで立ち向かわなければリターンは求められない。
 要はそのタイミングや把握能力そして行動力にある。
 ここに理詰めの限界があって、マニュアルや処世の無力がある。

 島村が優先させた事を再度考えてみてください。
 これを単なる綺麗事人道主義なんて早合点するのダメ!
 ただ勝てばいい。これでは絶対に勝てない。
 勝つには勝つなりの掟があります。