あかんたれブルース

継続はチカラかな

戦いの勝敗以前に不味い「逃げ」

 勝ち負けについて語っていますが、
 昨今はそれ以前に戦わないことを是とします。

 そりゃねえ、一生戦わないですむのなら誰も苦労はしませんが、
 そうは問屋が卸さない。

 それでも、戦う事の空しさを説くのが流行です。
 戦争とか人間関係の確執とか
 それはステージと次元の話。
 人間はいい加減な生き物なので常に自分を見つめていなければ
 どこかに飛んでいってしまう。戦う相手は自分自身ということですかね。
 それだけ。

 キリスト教系合理主義文化にあって唯一例外として
 その経営者テキストに採用されている『孫子』。

 孫子はその戦略兵法論を三十六にまとめ上げましたが
 その最後の極めつけを「逃げるが勝ち」として。
 これが誤解のもとなんでしょうかね。
 なんにしても下手な漫才のボケじゃないんだから、
 いくら都合がいいといって拡大解釈し過ぎだとは思いませんか?

 若者に絶大な人気作家の伊坂幸太郎のデビュー作
 『オーデュボンの祈り』の主人公はすべてを「逃げ」で過ごしてきた。
 この設定を読者はどう感じたのでしょうか。

 とはいえ、逃げることを最上の世間知と決め込むのは若者ではなく、
 むしろ大人のほうです。

 決断の先送りが先々どんな弊害をもたらすか
 親の意見と冷や酒はその場にゃ効かぬが後で利く。であって、
 目先ばかり追っての御都合次第は非常に厄介なもの。

 子は親を観て育ち、若者は大人を観ています。

 これは亀田親子の擁護ではないのですが、
 彼らが試合前に開帳するパフォーマンスはある意味で
 逃げ場をなくす。自らを崖っぷちに追い込む意図があると思います。
 それが半分。
 あとはその恫喝によって相手にプレッシャーをかける魂胆もあるでしょう。
 野球で言えば第一投目を内角ギリギリの危険球もどきで威嚇するような感じ。

 辰吉のそれと幾分臭みのニュアンスが違うのは後者の存在があるからだ。

 別に言葉尻を捉えて言行一致で「切腹しろよ」とは言わないけれど、
 御免なさいのチャーミングがあっても良かったと思います。
 辰吉にはそれがあったよね。

 韓信の背水の陣ではないけれど、
 勝負の場で逃げ道をあえてなくして戦いに臨むことはひとつの方法論として
 効果はあると思います。

 それと虚勢を張るのでは雲泥の差がある。

 それでも、戦える者は幸いです。

 逃げ続ける者は先に進むことはありえない。ジリ貧といいます。

 そして、島村速雄は決して逃げてはいない。
 彼は海軍大将海軍大臣まで栄達しますが、60歳近くまで借家でした。
 かなりの高給でしたがあれば寄付してしまって
 奥様は家計を維持するのに大変だったでしょう。それに子沢山。
 銭湯をこよなく愛して「ぬる湯の大将」と言われた人です。

 自分の功績をすべて他人に与えた人間が結果的には組織の最高位まで達した。
 でも島村にとってはそんなことは重要ではない。
 職場で上司に手柄を横取りされたとこぼす居酒屋の与太は今夜もあるでしょう。
 それをよそに湯船で鼻歌を唸る島村速雄の姿が眩しい。