あかんたれブルース

継続はチカラかな

仕事のなかにあった「道」

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 武道を通しての勝ち負けの話でした。
 ちょっとだけよ。つもりの余談がまたまた脱線してしまった(汗)。

 「道」の話にしましょう。

 この道は武道だけではなく、私たちの仕事にもある。いやあった。

 技術という仕事の中に道を見いだせたし、どんな仕事にも道は、
 あったものです。今は知りませんが。

 いくら頭で理解しても心と体は、なかなかついていけない。

 体で覚える。という学習がありました。

 私はグラフィックデザイナーでしだが、
 修業時代に「秋のアイテム120」とかのシャツのパートで50点を見開き2ページに
 収めることが出来ず徹夜しても収拾がつきませんでした。
 なかなか難しいものですよ。

 何年かの経験を経て、まあ慣れですね。コツが飲み込めてくる。

 そうやって精通してくると、白いレイアウト用紙に見えないものが見えてきます。

 コレはココ、ソレはソコ。またそれがピッタリ決まる。
 その時に、私は神の存在を感じたものです。
 たとえば、数学のテストの答えって端数のない端柔な数字ですよね。
 真理というものは単純なものだと。
 横尾さんはそれを否定しましたが、理系を否定したはずの自分が
 黄金分割含めて芸術の中に数学的な法則を求めました。

 とはいえ、そんなもので私の道や修行の問題が解決されるわけではない。
 いつまでも秋のアイテムだけをやってるわけにはいかないのです。
 本の装丁も単行本から文庫まで様々。新聞広告もあればパンフレットもある。
 ポスターからチラシまで、便箋封筒。クライアントによっても条件環境は違う。

 ひとつの壁を越えて喜々とすれば、また別な壁が立ちふさがる。
 はやく自信というものが欲しかった。仕事が恐かったものです。
 よく、夢でうなされたものです。膨大な難題を背負い込んで、取り組む夢。
 悪夢ですね(笑)。自信がないから生むのでしょう。
 明け方、寝汗と共に目が醒めて。ひとこと「もったいない」せっかくやったのに(涙)。

 こんな経験、みなさんないですか?

 若さというものはそういうものですよね(笑)。

 これが未来永劫続くのか。気が遠くなったものです。
 「道」にはそんな過酷があるものです。
 極めるということはそんなに簡単なことではありません。

 一昨年の祭りで近大の学生と話し機会がありました。
 彼は理系。本来だったらエンジニア、技術者になるべき人です。
 しかし、彼は技術者を選ばない。といいます。
 技術者には夢が持てないといいます。
 彼が求めるのはプロジェクトリーダー。流行ですよね。そして、技術者は疲弊しているのが現状です。

 確かに、段取り屋がスポットを浴びています。
 プロデューサーには栄光がある。
 でもね、本当は裏方屋で面倒を背負い込むのがプロデューサーの役割。
 トレンドだけで判断するのは危険だと思う。

 本来、感性を重視するはずの職種だったはずの私の職場も存在しなくなった。
 また、多くのカメラマンが職をなくしました。
 それを淘汰というならば仕方ありません。
 そういう時代なのでしょう。
 すべてマニュアルとシステムとコストパフォーマンスに淘汰されてしまったのです。

 私は個人的にプロジェクトXの影の仕掛け人を知っています。
 彼は言う。「結局は人なのだと」
 そして、「いまそういう人は存在しない」と。彼は言い切る。
 それは時代なのか環境なのか。
 マニュアルやシステムだけではない。人間の資質とは何か。

 日本はかつて手仕事の国でした。
 日本だけではなく、
 産業革命まで人間の感性はその指先を通して様々のものを感じて生みだしてきた。

 画像はデュシャンの「泉」
 便器の芸術として20世紀に大きな批判と物議を醸した作品です。
 物して量産される製品。

 長くなりました。
 たとえ少数派であっても、仕事に「道」というものを見いだせていけるなら幸いです。

 それは非常に個人的には、苛まれてしまう苦難もあるでしょうが、
 そういう環境にもしあるのだとしたら幸いだと思います。

 システムやマニュアルや時代がそういった場を凌駕していくなかで
 そういう場は生きていけるならば幸いだと、私は思います。