あかんたれブルース

継続はチカラかな

ただの柔道バカなんかじゃない。

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 日露戦争が終わって、
 中国からの留学生が爆発的増加した時期があります。

 当時の中国は満州民族支配下にあり、打倒「清」と漢民族復権
 そして「近代化」という願いがあったのです。

 その受け入れ先という弘文院という学校があります。
 場所はJR水道橋の近く。寄宿制のこの学校を開設したのは嘉納治五郎
 そう、柔道家講道館の創設者。名前ぐらいだったら聞いたことありますよね。

 嘉納治五郎は武術家というよりも、教育者といったほうが正確です。
 東大出身だと知っていました?
 学習院教授や文部省の役人を経て軍人や官僚と対立した反骨の人で
 「文部の木っ端役人」と公言してはばからない豪快な人物。

 少し、話はずれますが
 後楽園ドームの一角に野球(体育)博物館がありますが、
 そのなかの展示物に日本の野球の貢献者をプレートに飾って殿堂しているものがある。
 その第一号は正岡子規なのです。が、その先輩あたる嘉納治五郎こそが
 第一号でしかるべきではないかと私は内心思っています。
 東大の野球ブーム先駆者こそ、彼だと。
 それっくらい嘉納治五郎は野球に入れ込んでいました(汗)。
 まあ、柔道の父というよりも「スポーツの父」と云われていますので、我慢しますが(笑)。

 スポーツ、武道、そして教育。
 偉大な教育者・嘉納治五郎にとって弘文院は彼の理想があったようです。
 
 この弘文院に魯迅周恩来も学んでいます。

 先の大東亜戦争は不幸な歴史でしたが、
 日本と中国人が親密に交流する時代がそこにありました。
 それを、日本の大陸侵略の先駆けと判断するのは早計です。
 いまだ欧米の植民地政策の呪縛を受けている時代に
 アジアの「近代化」は大きな課題だったのです。
 
 中国の辛亥革命は日本人の協力があってはじめて達成された。
 これは歴史の事実です。

 それを利益からサポートした者もいたでしょう。
 また国益とからめた者もいたのことも事実です。
 しかし、純粋に私利私欲なく協力した日本人がいたことを忘れないでください。

 歴史とか現実は単純なものではありません。

 現在も中国からの留学生は多い。
 「近代化」というスローガンはなにやら100年前の当時と似ていますが、
 目先の利いた学生は日本などに学ぶものはないと
 米国に留学するそうです。
 近くて遠い国。アジアそして中国。
 多くを理解しあうには課題は多いのでしょうが、できれば仲良くしたいものです。
 


 
 
写真は嘉納治五郎先生です。
海軍の広瀬武夫を深く愛しました。
広瀬は講道館内田良平(後に黒龍会創設)と出会います。
玄洋社黒龍会を即右翼国粋団体と解釈するのも早計です。