鳩山さんの想い出(1)
鳩山さんと私が出会ったのは今から19年前の秋でした。
菊花賞の前だったと記憶します。
9月に独立して会社を設立したのですが、資本金100万円で自宅を事務所に使っていた。
そこに働く女性の雑誌の編集長という肩書きで鳩山さんから電話があったのがはじまり。
電話してきたのは副編集長の荒川さんでしたかね。
当日は酷い雨で、約束の時間を一時間以上オーバーして二人は現れました。
道が混んでいたとのことですが、電車なら確実だったのになあと感じたものです。
初対面では背広姿の二人の訪問者に面食らったものです。
私のなかで編集者はみなカジュアルだったのですが、上から下までサラリーマンでした。
名刺には経済新聞の名称が冠になっていました。
見知らぬ世界の人たちです。
私が彼らの要請を受けてその女性誌を引き受けて三ヶ月もしないうちに、
鳩山さんは左遷させられて別部署に異動。
この頃から組織に人情という不要なものを削ぎ落としていく時期だったようです。
鳩山さんは不思議な人で、はじめて飲みに誘われてとき、彼が何を話しているのか
私はまったく理解できなかたった。
29歳の私はまだ若者で、鳩山さんはすっかりオヤジが出来上がっていた。
私との年齢差は20歳。
私と彼との付き合いもその三ヶ月で終わるかと思いましたが、縁とは不思議なもので、
まさかその後、20年近く付き合い続けるとは思わなかった。
私には理解不能の鳩山さんでしたが、
どこがどう気に入られたのか何くれとなく彼は私に仕事をまわしてくれます。
仕事自体はなんてこともなく、一流企業とはいいながらお役所のような体質のもので、
私は何度も短気をおこしたものです。「もうやめます」とか(汗)
その都度、「君、まあそう言わないで続けていきなさい」と
よく訳の分からない説得をされて、なんとなく続けていましたよね。
3年ほどすると、鳩山さんが何を言っているか理解できるようになった。
直属の部下でもほとんどが理解不能だったのでこれは凄いことだったようです。
同時に、私はこの奇人と称される人物の深い叡智(?)と優しさとダンディズムを知ります。
要は天才肌の人なので一般の社会や組織では理解されないのでしょうかね。
時代にそういう余裕がなくなってきたのかもしれません。
サラリーマン世界の人間関係なんて儚いものです。
直接の上下関係や利害がないと希薄なものです。
それと逆行するように鳩山さんと私は年齢差を越えて親しくなっていきます。
彼が退職する頃には私は「馬ちゃん」と言われていました。