鳩山さんの想い出(2)
鳩山さんは優しい人でした。
決して他人と揉めたりしない。
それでも相手は手加減しない場合もあるので、どこかで傷ついていました。
それを飲み込んでしまうことも彼のダンディズムだったのでしょうが、
若い私にはそれが歯がゆくもあった。
出世のラインから外れてしまった彼を昔の部下は相手にしない。
それも腹立たしかった。だから余計に意地になって、
彼からの誘いには出来るだけ乗っていた感じです。
鳩山派。小さな派閥です。ふたりだけ。
私は部外者だけれども、鳩山さんが関係する仕事なら5人分能力を発揮できると確信していた。
技術も知識も交渉力も当時誰にも負けない自信があったものです。
だけど、鳩山さんはそんな斬った張ったの生臭いことは興味なかったですね。
それが僕のダンディズムだとニコニコしていたものです。
それでも社内イジメにあって鬱になったこともあったようで、
それを知ったのは数年後の事でした。思った以上に私は非力でした。
退職したら一切の仕事をしない。
これも彼のダンディズムのひとつでした。
私はそれは寂しいと何度か説得したものです。
それの効果があったかどうかは分かりませんが、その直前に急遽方向転換して、
鳩山さんと私は再度タッグを組みます。それが9年続いたわけですね。
私は向こう見ずところがあって、間尺に合わないときや理不尽が許せないときは、
相手構わず、その非を指摘しするおバカさんでした。
クライアントだろうが、年長者だろうが、関係ない。
その都度、鳩山さんが間に入ってくれたり、また諭されて詫びをいれる場を作ってくれたものです。
中には、どうしても誤りたくない場合もあったのですが、
なぜか鳩山さんには逆らえないところがあって、結局それに従ったものです。
そして、私が唯一、甘えられる人でしたね。いつのまにか
私の会社も順調なようでもいくつかのピンチを迎えます。
その時々に彼の範疇で、出来る限りのサポートとアドバイスを受けました。
気負って、世間のすべてを敵にまわしても構わない。そんな私に優しくしてくれた。
よく、湯島や根津で飲んだものです。
その帰り、一人になると地下鉄千代田線でじんわりと彼の優しさが沸き上がってきては、
車内の人混み隠れて泣いたものです。俺は風邪ひいてハナ啜ってるんだと。