あかんたれブルース

継続はチカラかな

やさしさに包まれたらなら

 妻が何を思ったか、昨日は朝から晩までユーミンの曲を流していました。

 私たちの世代は大なり小なり青春のBGMにユーミンの歌が10曲中4曲は入っていたな(汗)。

 お付き合いする女性の趣向もあるでしょうけど、
 たまに聴くと懐かしい。


 「やさしさに包まれたなら


 幼い頃、やさしい人が好きでした。

 母親が編み物学校に通っている頃ですから幼稚園に入る前です。3、4歳かな

 「すみれ」という若い女性がいて、とてもやさしくて大好きだった。

 古風というか意外な意表をつく素敵な名前でしょ(笑)。

 すみれ姉ちゃんって呼んでいました。

 一度だけ、彼女の実家にお歳暮を持って母親と訪ねた記憶があります。
 すごい田舎で、家の近くに滝と渓流があったのを憶えています。

 「夏になるとお兄ちゃんたちがここ(滝壺)から飛び込んだり泳ぐんだよ」

 もう彼女の顔は憶えていません。
 すみれ姉ちゃんという名前と彼女のやさしさだけが記憶に残っている。

 もうひとり、名前も忘れた女性がいて、そちらはガサツで口が悪く閉口したものです。
 そのくせやたらとチョッカイを出してくる。
 仮にガチャ子としましょう。
 いま思うと彼女は彼女なりにやさしくもあり、その表現が形を変えてそうなっただけ。

 45年後の馬ちゃんなら感じ方も違うんでしょうねえ。
 でも幼くてもマセた私はガチャ子の好意はわかってもうっとおしかった。


 女性には母性というものがあるからでしょうか、小さな子供にやさしい。

 子供は無条件でそういうやさしさを好みます。

 女は愛嬌 とか、気だてが大事 とか。

 なんか自分が成長して、気がつくと
 自分の優しさの表現が屈折しているのかなあと思う時があります。
 子供の頃にはあんなにストレートで素直なやさしさを求めていたのに。

 ついつい、気に入った相手には意地悪したりからかったり
 自分はガチャ子になっている。

 男だから? 母性じゃなくて父性だから? シャイだから? 性格かな?

 わからん。

 どこかで、そういった素直な表現を表に出すことを恐れているのかな。

 
   ♪ やさしさに包まれたなら きっと 
     すべてのことが メッセージ 

              「やさしさに包まれたなら」より バイ・ユーミン