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やさしさの行方(2)
ニュースで一番悲しくなるのは幼児虐待の事件です。
その動機に「躾(しつけ)」という言葉がある。
教育問題を話し合ったり、記事にしたりするときに、この躾という言葉はよく使われる。私も使っています。
確かに躾は大事だけれど、どこか違う。
私は遅くに子供が出来たので大甘の父親かもしれません。
Kちゃんは一人っ子だし、大切に育てられているから闘争心に欠ける。と指摘されます。
笑って聞き流していますが心の中では「バカか、お前」と。喉まで出かかる(笑)。
世間の躾や子育てはいたってストイックで画一的に感じてしまいます。
生後1年を目安に乳離れさせる。うちもそうでした。
ある日、それを敢行しました。いつかはやらないといけない。
夜中にオッパイを欲しがって泣くよね。子供は何も知らない。
背中に負ぶって秋の夜道をトボトボ歩く。そうやると泣きやむのです。
でも途中で泣かれると、つらいね。
言葉は通じないのだけれど、背中から下ろして語りかける。
それを何回か繰り返して、朝になり、Kちゃんの乳離れは成功しました。
その後に、何かの本で吉田松陰の母親は12歳ぐらいまでオッパイをあげていた話を読みます。
別に、そこまで乳離れを延ばしたかったわけではないですよ。
ちょっとね。考えてしまっただけ。
Kちゃんは10歳ですが、いまだに私は「Kちゃん」と呼ぶ。
他人の家の子供を呼び捨てにしたりするのに。なんなんでしょう(笑)。
宮本輝の『泥の河』は作者の自伝的な作品のひとつ。
映画では田村高広が父親役を好演しました。
小学生の信夫に父親が「のぶちゃん」とちゃん付けして呼ぶのが印象的でした。
なんか とてもやさしい響き。
この父親は『流転の海』シリーズでも登場します。
波瀾万丈の人生を生きた父親として描かれ、そうそう甘ちゃんではない。
子煩悩ではあっても、酸いも甘いも知っている。
でも、のぶちゃん。なんだな(涙)
そのKちゃんは小学校に上がっても自分のことを「Kちゃん」と言ってましたっけ(笑)。
放っておいた。非常識な親なのかもね。
小学校2年の正月を境に、彼が必死になって「僕」と言おうと頑張っていました。
ほぼ一ヶ月でKちゃんは僕に変身します。
可笑しかった。
子育ては楽しい。
私は自分の子育てを過保護だとは思わない。まったく微塵も
それでも
いつかKちゃんから「ちゃん」を取って呼ぶ日がくるんだろうなあ。
と思うと、少しさびしくもある。バカですねえ。