コミュニケーション(1)
いつの間にか歳を重ねてしまいました。
ついこの間までは鼻っ柱の強い若造だったはずなのですが、
気持ちだけでは若さは保てないものなのでしょうかね。
年長者との隙間が埋まった分、若い世代とのジェネレーションギャップを感じることが多くなりました。
晴天のヘキレキ。
五年経ってば人は顔立ちも変わると申します。(by中島みゆき「東京迷子」)
十年経ってばひと昔。この業界で二十年以上を過ごせばオダキリジョーもマツモトキヨシ(意味不明)。
昨年からある仕事で一世代若い女性の担当者と仕事をしています。
彼女は美人で性格もよく今時めずらしい真面目な良識派。
ところがしっくりいかない。
たぶん、彼女が仕事をよく理解していないせいだと思います。
で、事細かく噛んで解してレクチャーするのですが暖簾に腕押しの結果。
その場では「はい」と良い返事なのですが結果的にはさっぱり。。。
最初は自分に問題があるのかと悩みました。でもどうもおかしい。
今年、二回目の後味の悪い仕事を終えて、彼女の上司と飲んだおり、
その上司がこぼしたのが彼女の問題でした。
私だけではなく、他でも多くのトラブルを抱えているそうです。
いくつかの事故にもつながったとか。
まじめで一生懸命な仕事ぶりを知っているので、
この上司もどう対応してよいのか当惑すると嘆いていました。
話を聞いていると、そのトラブルや失敗の原因はコミュニケーションの在り方にあるようです。
メールだけで解決させようとする。
確かに、メールは便利な道具ですが、この使い方を誤ると事故が起きる可能性は高いものです。
私たちの頃は電話とFAXでしたが、
それでも交渉や依頼や発注は相手先に行って直談判することを第一としました。
相手の顔を見て目を見ての交渉はアナログかもしれませんが、確実なものです。
どんな無理な交渉でも誠意と意図を理解してもらえればなんとかなる。と
だから後輩たちにも「足を動かせ」と伝えてきたものです。
そういったことが非効率と考えられているのでしょうかねえ。
仕事の理解力も頭や理屈だけでは身につかないものです。
体で覚える。これは効果的であり持続的に積み重なっていくから効果がある。
また、失敗を恐れているようですが、
失敗という痛恨時こそ一番の経験となって自分の血と骨になる。
こういった事が古くさく感じられるのでしょうか。
その上司とは同じアナログ世代であり、十数年の付き合いでもあり、
そういった自分たちの苦くも切なかった経験を懐かしみながら
「最近の若者は」という老いぼれの戯言を肴に酒を煽るのですが、しかし
どんなに社会や環境が変わっても
人間のコミュニケーションの基本は変わらないと私は思います。
それは現実世界が正しくて、ブログの世界がバーチャルだと言っているのではありません。
何度も書いてきましたがネットもブログも伝達の道具でしかない。
その使い方の問題です。
また、実際に現実世界で対面しての交渉でもそこに誠意がない場合だって多いはず。
マニュアルだけでは解決できない問題はたくさんあります。
と、ここまで書いてみて、私の言い分は心情的に思われるのかなあ。
であれば、もっとシビアに
効率を唱える者たちに、敢えて言おう。
「効率」より「効果」が優先されるべきであり「重要」なのではないのか!
誰に言ってるんだ?