コミュニケーション(5)
落ち込んでいる人に「頑張れ」と言ってはいけない。
よけいに相手を追い込んでしまうのだそうです。
言葉は刃物ですからね。時と場合と状況によります。
でも、「頑張れ」って言葉を封印したからってどうなるものでもないだろう。と
それでも「『頑張れ』と言わないで」と言われれば、言わないように努めるしかない。
鬱の問題はデリケートです。
本人か家族若しくは大切な人がそれに侵されている。その経験を有している。
または最悪の結果を経験した。でなければ何も言えないものなのか。
私はしました。ではその権利があるのか?
でもたぶん、そのことは記事にはしないでしょう。
「頑張れ」を封印しても何とかなりそうな気もします。
事実、極力注意して言わないようにはしてきました。
でも、本当にそうなの?
言う人の伝え方使う場面。受け取る側の状況が大きいのではないかと思ったりもします。
頑張れを使わない。これは医療マニュアルのひとつ。
どうか誤解しないで、この手の記事を書くときはヒヤヒヤしてもの凄く神経使っています。
先日、あるアマチュア劇団が「自殺」をテーマにしたミュージカルをテレビで紹介していました。
大切な友人を複数失った経緯から作られたものだそうです。
ストーリーのクライマックスでは、どうしても立ち直れない友人が自殺を試みる。
そこにサンタに姿を変えた二人の友人が必死なって歌います。
「頑張れ」「頑張れ」と連呼して歌う。
ドラマ設定では彼らの姿は見えない。その歌も聞こえないけれど必死に頑張れと歌う。
制作者はあえてマニュアルで禁じる言葉を使ったそうです。
私のこれまでの引っ掛かりが少しほどけた。
一年間の自殺者は約3万2千人。予備軍はおおよそ10倍。
そのなかで鬱を病むひとたちの比率はどれくらいなのでしょうか。
もしかしたらもっと多いかもしれません。
色々な理由で追い込まれていることは確かです。
「頑張れ」という言葉を闇雲の使うのは無神経だと思います。
でも、だかといってそれを封印することで問題は決して解決しない。
「頑張れ」を「我を張れ」とも訳すとも言います。
だから嫌だと。言う人もいる。
でもね、そりゃあ言葉遊びの世間知ってものから一歩も出やしない。
頑張れはガンバレでしかありません。
何に頑張るのか。頑張れと言うのか。そこが要であって、
不用意に使うのは野暮でしょうが、それを封じても仕方がない。
コミュニケーションに言葉や文字は重要な役割をはたします。
どんな言葉でも使い方によってナイフにもなる。
だから「頑張れ」ひとつを槍玉にしたってしょうがないと私は思う。
昨日、あるブログで素敵なコメントを発見しました。
「はやく元気になーれ!」
なんてやさしい、なんて素晴らしいセンス。そして知性。
言葉はテクニックじゃない。
コミュニケーションはマニュアルだけでは伝わらない。
言葉に縛られずに、相手の気持ちをくみ取る思いやり。
そう、思いやりが大切だよね。
やさしさは強さだと、痛感しました。