素敵な恋愛。素敵な人生。
それを邪魔するものは常に「不安」という迷い。
もっといえば「淋しさ」なのかもしれません。
私たちは常に客観的に自分をみつめることを心掛けています。
心のなかの第三者は色々な事象や他人と比べてシビアなジャッジを与える。
それはそれで大切なことではあるけれど、
どこかでその客観性が淋しさを醸し出すとき、自身と第三者は融合して哀しい孤独に不安を感じる。
「これでいいのか?」という迷いや不安を煽るのは、いつも体内の客観的な自分自身。
その第三者は必ずしも客観的に分析しているとは限りません。
過去の想い出は時間の経過と共に美しく変容されていくもの。
それは決して嘘ではなく、そのときにその幸せに気がつかなかっただけかもしれません。
けれども、私たちは過去に生きていくことはできない。
それよりも、この淋しさをなんとかすることのほうが先決。
また、人に迷惑をかけてはいけないと教えられて育ち、そうあろうと納得して生きてきた。
それはそれで大切なことではあるけれど、
本当は生きている以上、
他人に大なり小なり迷惑をかけて生きていることを知ることのほうが大切。
人が生かされているという本当の意味はそこから出発している。
若干ニュアンスは違いますが
「愛」という言葉を東洋的なものにあてはめれば「仁」という言葉になる。
「仁」には人は二人と表されています。
孤独に生きるのではなく、孤高に生きるべきです。
そして自己完結に勤しむよりも大切な人をみつけることが重要。
その出会いこそが幸せの本質だと思います。
そんな出会いがあったら、
惜しみなく、あらん限りに、愛せばいい。
ざっくん、これは決して理想じゃないよ。人間にはそうしたいという本能があります。
だから決して無理じゃないんだ。
そこに余力を残してはいけない。
私たち自分の人生の傍観者になってはいけない。
帰りの電車賃なんて気にしない。後戻りできないんだから。
ゴールを目指しているのは私たち自身です。
そして、世の中は「思い込み」で動いています。