あかんたれブルース

継続はチカラかな

無償の愛から自己愛へのUターン現象

 例によって枕が長くなったので(汗)。ふたつに分けます。
 (この癖は来年の課題です。もっと短くまとめないと)

 今年の総決算。愛の話。

 かくいう私は、ブログをはじめた頃の昨年の5月頃までは「愛」なんて信じてなかった。

 って言うかそんな言葉を口に出したことなんてなかったもんね。

 色々考えさせられることがありまして、ブログで。

 なんかその力の所在にすっかり跪いてしまった。

 オスカー・ワイルドは人間というものは「愛」と「賞賛」を求めているといいます。

 これだけは私にも納得できる。

 で、究極の愛を「無償の愛」と導きだしたのですが、それをさらに踏み越えてみたときに、
 愛の本質は「自己愛」ではないのかと思い至っています。

 これは前日、浅田次郎さんの「本物と偽物の愛」の件で、
 偽物を「自分のための恋愛だから」という定義と反するかもしれません。
 まあ恋愛を「恋」と「愛」に分けて考えますから尺度も違うのかもしれませんがね。

 で、この自己愛説は私のオリジナルではないようです。
 小此木啓吾あたりが既に唱えていたと指摘されました(汗)。妻から
 まあそれならそれでいいのですけどね。

 人間が幸せを感じるのは「愛」と「賞賛」に絞られる。
 幸せになるには「自分を愛すことから」という真理もあります。
 
 そして「無償の愛」が真実の愛だとする。

 つまり、無償の愛を与えることのできる相手と出会ったことに幸せがある。

 そういう自分を確認できたときに、途方もない幸福感を味わう。

 それが自分自身の賞賛であり、そこではじめて自分自身を認めることができて、
 そして自分自身を愛すことができる。わけだな

 自己愛っていって、ナルシストとかに直結させないで
 もっと踏み込んで自分を好きになるような愛をみつけてみたいですね。
 
 すべては邂逅にその鍵は託されているようです。

 来年は素敵な出逢いをみつけてね。よいお年を!