いまから106年前の明治35年(西暦1902年)の1月23日。
青森第八師団は日露戦争を想定して日本陸軍初の雪中行軍演習を行いました。
有事の際、ロシア軍が日本海から上陸した場合を想定してのことです。
雪の八甲田山系の横断。
高倉健主演の映画『八甲田』や新田次郎原作の『八甲田山死の彷徨』などで御存知の方も多いでしょうか。
本日はフィクションの話ではなく、ノンフィクションとして真面目なお話。
第八師団は戦時編制として神成丈吉大尉を指揮官に第五連隊から一個大隊(210名)を参加させました。
青森〜田代平〜三本木間。距離にして50 km、三日ほどの行程。
この隊とは別に、その三日前の20日に第三一連隊から37名と新聞記者1名が福島泰蔵大尉に指揮されて出発しています。
こちらは総距離220kmという大行程。この福島隊は31日に全員無事に目的地に到達します。
しかし、神成隊は生還者わずか11名。うち8名は重度の凍傷で手足切断という大惨事となります。
これが世に言う「八甲田山の悲劇」であります。
この事実を陸軍は隠しました。
それは同時に福島隊の成功も隠したということです。
神成隊の失敗の原因は単純です。指揮官の能力と判断ミスに尽きる。
この神成隊には特別隊として山口(金偏に辰の字がでません)少佐という大隊長が同行しています。
いわゆる目付役ですね。
出発した23日の昼間から天候は急変。地元の人間はとめたそうです。
神成大尉もこれは危険だと判断して、山口少佐に具申しましたが、
山口は聞き入れない。
この二人、日頃から仲が悪かったそうです。
行軍は続行され、案の定遭難。そして大惨事となってしまいます。
生還した山口少佐はその失敗の責任をとって自殺(たしか割腹)を遂げますが、
そんな責任の取り方では屁の突っ張りにもならない。
軍隊というものが組織化されて硬直すると当たり前の判断が下せなくなる。
こういった例はたくさんあります。
また、組織間の人間関係が作戦や戦略戦術におおいに関係する。これもあるある。
一方の福島大尉は本隊の4倍以上の距離でしたが、
彼の準備周到な計画によって成功します。
例えば、弁当のお握りを体に巻き付けて凍らないようにするとか。
こういったリーダー・指揮官の能力がいざといった時には如実に現れるのですね。
それと、隊員数が本隊の6分1という少数だったのもよかったのかもしれません。
頭数が多いっていうのはプロジェクト遂行に決して有利ってわけじゃない。
少数精鋭がいいんですね。
それと船頭が多いのもよくない。
まとまりが大切。
この凡例は現在でも
「企業研修や大学において、
リスク・マネジメントやリーダー論等の経営学の
ケーススタディに用いられることがある。」
そうです。