日露戦争っていうと日本の連戦連勝って感じで記録にされていますが、
実際は非常に辛勝というか毎回首の皮一枚のところで勝ちを拾っていた。
というのが実情です。
そのなかでも一番のつらい戦いは乃木第三軍の旅順要塞の攻略戦。
福島大尉との確執で第八師団の旅団長から解任された友安治延少将は日露開戦と共に、
後備第一旅団の長に任命されて乃木希典大将の第三軍に組み入れられる。
彼こそが、二〇三高地攻撃の途中で「こんなの無理」といって投げ出して
辞表を出した「某旅団長」の某、その人。友安某。
私は八甲田山の件を知るまでは「なかなか気骨のある軍人」と感じていましたが、
要はそれ以前の人間だったんでしょうねえ。いまはそれ以上の感想がない。
さて、福島大尉の所属する第八師団。
これは本土守備隊とし北海道の第七師団とともに最後の切り札虎の子として温存されていた。が、
もうそんな余裕がない。
その虎の子師団を一番欲したのが乃木第三軍でした。なんたって旅順は被害は拡大してもまったく落ちる気配はない。
運命は第七軍団が旅順へ。福島の第八師団は総司令部予備軍として南満州へ。やれやれ
ところが、紗河会戦の後、日本陸軍最大の危機「黒溝台の戦い」であります。
ロシアの戦術を見誤った総司令部の大失態です。
ここで奮戦する秋山好古支隊を救わねば日本軍は総崩れになる。
その命を受けたのが立見尚文の第八師団だ。急げや急げ。福島大尉も急いでますよ。
これこそ八甲田山の伏線。歴史の醍醐味だ!
でもね、ここで福島大尉はあっけなく戦死します。すごくあっけなく。
日露戦争未曾有の危機といわれた黒溝台の戦いは
「坂の上の雲」の主人公のひとり秋山好古の活躍。立見師団長の奮戦として記録されています。
あっけなく戦死した福島大尉の握りしめていた軍刀は
日本のやくざの祖といわれる幡随院長兵衛の刀だったとか。
そうそう辞表を出した友安治延少将はどうなったんでしょうね?
あれあれ後備第十一旅団長として奥第二軍に加わってる。奉天会戦に参加してますよ。
あの八甲田山から3年後の明治38年1月29日のお話です。
これにて、一件落着。