あかんたれブルース

継続はチカラかな

黒駒の勝蔵と清水の次郎長

やくざと明治維新(1)



 先日の八甲田山の記事で、福島大尉の軍刀
 「日本のやくざの祖といわれる幡随院長兵衛の刀だった」と記しました。

 以前、やくざの話をアップしたときに幡随院長兵衛の話はしましたが、
 まあこれはジョージ秋山の『浮浪雲』の雲さんみたい感じですかね。

 福島大尉と友安少将から話を旅順にもっていこうかなと思ったのですが、
 やくざの話にします。

 幡随院長兵衛が旗本奴の頭領・水野十郎左衛門に殺されたとされたのが1657年。

 その後、やくざは独自の進化を遂げて時代と共に日本社会に生息していきます。

 競馬の競走馬に三大種祖というものがありますが、
 歴史の時間軸を俯瞰して馬太郎的に代表的なやくざをピックアップすると、

 黒駒の勝蔵、吉田磯吉、そして三代目山口組組長の田岡一雄。で間違いない。

 黒駒の勝蔵は清水の次郎長の敵役として有名で「悪役」というイメージが濃厚ですよね。

 でもそんなことないんですよ。まあやくざですから善し悪しは別として、
 以前、清水市で次郎長一家の名称を復活させたことが物議を醸しましたが、
 その記事に対して、
 「今の暴力団と侠客清水次郎長を一緒にするな!」の意見がありました。

 こういうのに私の癇癪は弾けます。

 次郎長だって単なるやくざであって侠客云々と特別扱いするは大間違い。

 というかそれじゃああんまり黒駒の勝蔵が可哀想なのです。

 当時(幕末)の黒駒の勝蔵は地元甲州でもの凄い勢力を有していました。
 その兄弟分の多さは甲州にとどまらず日本最大の存在でした。
 彼を日本やくざ三大スターに取り上げる理由のひとつがこれ。

 時代劇の股旅モノではやくざは博打ばかり打って座頭市に斬られていますが、
 やくざと経済の繋がりは昔から深いものです。
 博打のカスリだけじゃあ大したことはない。

 勝蔵の甲州は生糸の生産地です。
 生産物は流通してはじめて利を得る。
 ここに甲州財閥が生まれるのですが、陸路だけでなく、海路を確保したかった。

 甲州武田信玄が海を求めたように、甲州人は駿河湾を求めました。
 ここに、黒駒の勝蔵(甲州)と清水の次郎長(駿洲)の激突があり、
 実業家たちの利害が絡んでいた。代理戦争ですね。

 しかし、当時の黒駒の勝蔵の勢力に比べたら次郎長なんて微々たるものですからね。
 サヨリが軍艦に挑戦した。って感じです。次郎長人気はここにあるのかも。

 また、幕末から明治維新にかけて、
 勝蔵が尊皇攘夷派として官軍について戦ったのに対して、
 次郎長は佐幕派として幕府についた。この辺りも対照的ですね。

 結果として、幕府は滅びてしまうのですが、
 新政府は勝蔵の功績を認めるのを恐れて、彼のそれ以前の悪事で別件逮捕して死刑にしてしまう。

 清水の次郎長の名は現在でも侠客として偉人のように認知されていますが、
 黒駒の勝蔵はそのせいで悪人のレッテルを貼られ続けている。

 やくざはやくざなのですが、善し悪しの問題ではなく、
 そこが私の気にくわない理由です。