あかんたれブルース

継続はチカラかな

人手不足が黒門町の親分を生む

やくざと明治維新(2)



 沖縄やくざの凄惨な抗争は本土のやくざでさえも目を背けるそうだといいます。

 しかし、戦後まで沖縄にやくざは存在しなかった。
 
 理由は貧しかったから。

 やくざが生まれる生息する環境ではなかったのです。

 幕末に有力な博徒を生んだ地域は上州と甲州と駿洲と言われています。

 共通していえるのは幕府の直轄地が多かったことと養蚕などの地場産業があったことでしょうか。

 豊だったんですね。

 現在、相場などは東京アローズとかそれぞれ一括されていますが、
 昔は市が立つ所には相場が立ち、それぞれ売り買いで牽制対立していたようです。
 米相場とか生糸相場とか色々なんでも。

 そして、やくざが相手の相場に殴り込みをかけてぶっ壊すわけです。

 経済とやくざはそういう意味でも密接に関係していました。昔から


 米国映画で悪事を犯したギャングは必ず国境を目指しますよね。

 現在の愛知県は尾張三河で構成されていました。

 かたや六二万石の御三家筆頭の所領、
 かたや八つの小藩と他国の飛び地や幕府の直轄地に旗本の知行地が六十以上の三河

 清水の次郎長などは悪事を働くとこの三河に逃げ込んでいた。

 三河には国境がたくさんあったわけです。

 現在、経済的な効率化として市町村合併が行われていますが、
 こういった小藩や直轄地では財政難からやくざを活用していました。

 それは江戸なんかでも同じですね。
 南北奉行所の正規職員の数は驚くほど少なく、毎年過労死で死ぬ職員は後を絶たなかったとか。

 その人員不足を岡っ引きというやくざ者を採用活用しました。


 また、二足の草鞋を履くという、御上から十手を預かる親分も登場します。
 この辺は時代劇に登場する権力を悪用するやくざの親分のイメージぴったり?

 要は人件費の問題だったわけですね。