やくざと明治維新(3)
次郎長がなぜこんなに人気があるかというと、『東海遊侠伝』なる伝記の存在がひとつ。
著者は山本鉄眉(天田五郎)という人(奥州磐城平の藩士の子でありながら)が、
明治11〜14年の間、次郎長宅に居候(一時は養子になった)して書いたものです。
これが元になって、広沢虎造の「次郎長伝」や講談、
村上元三の小説「次郎長三国志」などがまた映画の原作になってきました。
しかし、これはあくまでも原本の『東海遊侠伝』が次郎長サイドにたって書いてあるのが問題。
実際に黒駒の勝蔵との抗争はあったのですが、そちら側の事情や関係団体は無視してしまっている。
因みに乃木将軍が現在ももてはやされる背景のひとつに浪曲・講談の影響があります。
黒駒の勝蔵の甲州に少し話を戻して
江戸時代、徳川幕府っていうと士農工商という身分制度を思い浮かべるでしょう。
でもね、幕府も後期になるとそれが怪しくなってきます。
危険視していた商工業の力が露わになってきます。
米だけではどうにもならない。
その社会についていけない者達は無宿人となって流民となります。
農民だけじゃありまえんよ。士農工商すべての階層から弾き出される。
彼らはどこに行ったか?
甲州に行ったそうです。
甲州はそういう吹き溜まりの地であり、受け皿に成りえたようです。
甲府勤番っていうのは幕臣にとって左遷の極地。究極の窓際です。
赴任したら二度と江戸と土は踏めない。なんていうような(汗)
甲州財閥の誕生にはそんな土壌もありました。
この甲府財閥が明治時代に大暴れする。
それを武田家の怨念と野望。とするのも面白いっていえば面白いけれど、、、。
若尾逸平、雨宮敬次郎(天下の雨宮)、佐竹作太郎、小野金六、
小池国三(山一証券)、根津嘉一郎(東武鉄道)などなど
小林一三(東宝・宝塚・阪急)とか、小佐野賢治(ロッキード事件)まで入るようですね。
黒駒の勝蔵はそういう土地で生まれたやくざなのでした。