情動の知性(5)コミュニケーション能力(ちょっと休憩-1)
このブログの最初の頃に、幸せは個人的なものだと書きました。
でもね、なかには不幸が身についてしまう場合もある。
不幸をいくら重ねても幸せにはなれない。
むしろ、そういった不幸は人間をくすませてしまうものです。
「人間万事塞翁が馬」
割合よく知られた中国の名言です。
○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○
昔、塞の近くに住んでいた爺様の馬が逃げ出した。なんて不運(涙)
しばらくすると、逃げた馬が良馬を連れて帰ってきた。なんてラッキー!
そこの息子がその馬に乗って落馬。障害者になってしまいます。なんて不運(涙)
一年後、隣国が攻めてきて戦争になりました。
ほとんどの若者が戦死しましたが息子は足が不自由だったので徴兵されず、
助かりました。とさ
○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○
禍転じて福となる。またその逆もある。って感じですかね。
そういう風に解釈していた私たち。ナニかとんでもない勘違いをしていたようです。
ヒントは息子の足の障害はそのままだってこと。
じゃあ、やっぱり不幸ってこと?
いやそうじゃない。
日本人は幸運と不運を一本の線でサイクル論として考えています。
出典元の中国人はこの格言から「不運」も「幸運」も
表裏一体のものであると考えているようです。
それがこの格言の主人公・塞翁のスタンスで窺えます。
私たち日本人はどちらかというと目先の事象で一喜一憂してしまいます。
運というものはそんなものじゃない。
なぜなら、ずっと不運の人って不運のままという現実が語っている。
もっと踏み込んでみましょうか。
中世イタリアの思想家・マキャベリから。
好調を謳歌するモノも逆境に泣く者も、
賞賛されたりけなされたりすることないのである。
なぜならば、
好調も逆境も、ある人には好機を恵み、ある人からは取り上げるという風に、
天が与えた境遇に浸っているにすぎないからだ。
天才マキャベリはその幸運や不運の現象こそが、
新しい好機をつかむ予兆であると喝破しています。凄いよね。
視野を広くもっと先に、そしてその機を逃さず果敢にと。
これを知っている事
そして、行動に移せることができれば
デカイよね。
遅すぎた(汗)。いやまだ間に合う