情動の知性(5)コミュニケーション能力(別件逮捕-3)
以前、「洋子の彼方と目前の視線」という記事で
1972年か3年に日本人が大きく変わったと書きました。
愛の十字路 第二章(番外-3)永田洋子の場合
URL: http://blogs.yahoo.co.jp/djkxq447/33769032.html
洋子は焦っていた。
女性同士の耳たぶに光るイヤリングに。
そして到来するモノと消費の時代を予見して焦っていました。
その苛立ちが「総括援助」という名のリンチ粛正殺人を行使します。
話が重いねえ。
ちょうどこの後です。ふさこが戸惑っていたのは。
何があったかと、、、。オイルショックだな。第一次。
【オイルショック】1973年10月6日に第四次中東戦争が勃発。これをうけて10月16日に、石油輸出国機構(OPEC)に加盟のペルシア湾岸産油6カ国は、原油公示価格の21%引き上げと、原油生産の削減とイスラエル支援国への禁輸を決定。さらに12月には,翌1974年1月より原油価格を2倍に引き上げると決定した。(ウィキペディアからコピぺ)
高度経済成長がここに終焉を迎えた。ともあります。
今も原油高凄いですね。原材料の高騰のダブルパンチです。
ただ、前のオイルショックの時は給料も上がりました。今はそうはいかない。
私が社会人になった時に仲の良い4歳年長の先輩がいました。
彼は高卒だったので実質社会人年齢は6歳の差がある。
「馬あ、俺の初任給は○万円だったんだぞ」と聞いて驚いたものです。
彼はオイルショック以前に就職していたんですね。
社会構造が変わったんだ。
いま騒がれている貧富の格差なんてものじゃない。
たとえば、暴走族の話。
これもオイルショックの産物です。
それまで、バイクとか自動車なんて金持ちのボンボンしか持てなかった。
東宝の「若大将シリーズ」で田中邦衛が演じた青大将みたいな感じです。
それが中卒の勤労青年でも
高校生でもアルバイトすれば入手できるようになります。
浅草を発祥の地とする「スペクター」は新宿に根城を移します。
その西方からは「ブラックエンペラー」が台頭する。
「スペクター」と対立して数々の事件抗争を繰り広げた
喧嘩専門の「極悪」は北千住が本拠地ですが、その発祥の地は築地の魚市場だったそうです。
それ以前から存在していた渋谷恵比寿あたりのボンボン血統だった
恵比寿の「ジョーカーズ」は弱いって評判でした。
俺が行けばその日から総長だとみんな言っていた。
それまで彼らは背を向けていたんです。
インテリ学生の大学紛争なんて俺達にはお呼びじゃないって。
暴走族はそのピークを1978年(昭和53年)12月1日の道路交通法改正
によって一気に沈静化させますが、校内暴力に形を変えていく。
授業カリキュラムが最高潮だった1960年組が高校三年を迎えるのが1978年。
「数学できんとが何で悪かとや!」と絶叫して猟銃をぶちかました
浅野温子のデビュー作『高校大パニック』が1978年だ。
ちょうどその頃です。ふさこが戸惑っていたのは。