広末涼子が離婚したそうですね。
夫の岡沢高宏氏はモデルでデザイナーとか。
なんか自分と照らし合わせて苦さを感じる。(why?(涙)
2003年12月の結婚ですが実質3年で二人の愛は壊れたようです。
ほら、例の愛の賞味期限3年〜4年の風説の流布。信憑性があるって?
冗談じゃない。
そんなもん嘘だよ。単に二人はしくじった。だけ
それだけのことです。なぜ?
正しい学問をしとらんからだ! (そ、そこにいくの(汗)
テキスト169頁 下卦「澤山咸」「雷風恒」「天山遯」
この3つは恋愛・人間関係のプロセスを表しています。
「咸」→「恒」→「遯」
二人は出会って、こんな感じで愛を育み成長させて往く。
確かに、愛は生ものです。賞味期限云々もあるといえなくもない。
けれども、それは愛の本質を把握してない者の戯言じゃ。(爺か?
「咸」は出会った頃の二人。
もうラブラブよ。むさぼるように愛を確認します。
運命の人。もう死んでもいい。放出と吸収。キスの嵐じゃ。
これが「咸」の期間です。
人間関係(友情など)も同じ。
愛に賞味期限をつけるのはいいけれど、愛を「咸」だけで把握するからダメ。
その先がある。
「恒」は常。日常、平常としてお互いのすべてを把握してきます。
良いところも悪いところも。痘痕もエクボから痘痕は痘痕、エクボはエクボ。
盲目だった「咸」の期間から平常心を取り戻す「恒」の時期に入ります。
ここで、相手の欠点や自分のそれを認め向上させていかないといけない。
努力と歩み寄り。えっ?妥協?違うよ思いやる気持ちでしょ。
それに相性があるからその欠点だってさほどの問題にはならない。
相性のせいにしちゃうと「見る目がなかった」か「わがまま」でお仕舞い。チョーン
むしろ、問題は現実的なアクシデントのほうかも。
人生山あり谷あり。平穏を願ってもそうは問屋が卸さない。
それぞれが富士急ハイランドとはいかないけれど
荒川遊園ぐらいの人生コースターに乗っているものです。
そのときに、玉姫殿で誓ったあの言葉
「苦しい時も楽しい時も分かち合って助け合って」を思い出す。が、
とんと忘れてしまって、相手のせいにしたりする。
覆水は盆にかえりませんからね。こうなると修復って難しい。
別に無理することはない。時間の無駄。
ただ、愛を「咸」だけで捉えると、また同じ失敗を繰り返すだけ。
ホント3年で次も終わります。そんなもんじゃないよ。
それに人間はいつまでも若くはない。始皇帝だってそれを避けられなかった。
例外は森光子だけ。
で、美味くこの「恒」を抜けるとどうなるか。
「遯」。逃げる離れる。・・・なに!
逃走とか離別じゃない。お互いが独立した個性として存在し合う。
成り行きとか消極的な意味じゃない。むずかしく言えば解脱みたいなもの。
ここに二人が到達できたときに、愛は完成され、それは永遠となります。
異論反論はあるでしょうが、
愛の本質とその永遠性を考察して1年10月。これが結論。
福田和也も文句は言えない。できるわけがない。しないよ。
テキストは安岡正篤先生の『易と人生哲学』でした。
正しい学問とはこういうことですか?
安岡先生!
因みに先生は後年細木数子に籠絡されてしまいましたが、
本人の弁明では「あれはアルツハイマーのせい」とのことです(涙)。