あかんたれブルース

継続はチカラかな

別にヒモでいいんじゃない。

 昨日の「愛の賞味期限と正しい認識」に
 居眠り受講生・かおり君から
 「経済的にも独立した二人が出合い、お互いの人生を知り、理解し、
  つかず離れず、見守り相手を思い泣いたり、星をみつめると言うこととは
  全く次元の違うおなはしなのでしょうか。」

 という質問を受けました。答えは「まったく同じ次元です。」

 それはそれとして、この「経済的にも独立した二人」という条件に反応しました。

 二人の関係に、いったい、いつから、経済的独立という悲しい条件が生まれたのか。

 男女平等、雇用均等、機会均等、良かれと思った法令が、社会環境を変え、
 二人の関係にさえも注文をつけます(涙)。

 男は外で、女は内で、の考えは古くさいものとされている。

 そうかな。私はどっちでもいいと思いますよ。

 結婚はある意味で他人同士が契りを結び最小の共同体をつくるもの。

 役割分担すればいい。得意不得意もあるでしょうし、時期的な環境もある。


 昔、ATGの映画で『祭りの準備』っていうのがありました。

 これは主人公が故郷を後にして上京する青春のプロセスを描いた傑作。
 だいたい名画座では『サード』など同時上映されたものです。

 このなかで主人公の父親(ハナ肇)は働かない。女道楽ばかり。
 しかも周辺の未亡人宅に寄生して世を渡り歩いている。

 これを観て、私は故郷の大人達を想いだしました。
 港町でだいたいの中高年は船乗りです。彼らの就業寿命は短い。
 だいたい50前後でリタイヤ。夕方になるとバンコ(縁台)に腰をおろし、
 海を見ています。まさに老人と海。でもそんなに歳取ってはいない。

 船員年金もあるでしょうが、漁船なので大した額ではありません。
 このかつての益荒男たちを食わせているのは鰹節製造場で働く妻たち。

 上州など、養蚕業が盛んな地域も歴史的に男は女に寄生しているものです。

 そういう環境があればそういう風になるのも自然なのですよ。

 だからヒモでいい。主夫でもいい。二人がそれでよければね。
 それよりも思いやりとやさしさが大切なのよね。
 なんかいまこれが、一番欠如しているように思える。
 独立立脚することばかりに血道をあけてお互いを見失っているような。。。
 好きで一緒になったわけじゃない。添いながら抱き合って星を見つめよう。


 私の知り合いのキャリアウーマンは出産してすぐに復帰。バリバリ
 なんだかんだいて出産は企業にとってマイナス査定。これが現実です。

 そんなに頑張って大丈夫?子供の世話は?

 彼女は胸を張っていいます。ベビーシッターを雇っていると。
 つまり共稼ぎで稼いだ金はベビーシッターやお手伝いさんに消える。
 それでもかまわないのだと。切ない話です。

 私は彼女を批判も否定もできません。

 その後、彼女の家庭は崩壊。原因は旦那さんの浮気。しかも相手は同性。
 そして、離婚。

 私は決して、そらみたことか。なんて思いませんよ。決して。切ない話だよ。

 みんな無理をしている。
 本当の幸せはスキルアップでもキャリアアップでも年収アップでも
 ないんじゃないだろうか。

 なあ直ぐに再婚しちゃいましたけどね。
 彼女にとっての過去の結婚の失敗はどういう風に処理されたのかは分からない。
 
 人はそれを生き甲斐とか社会参画による「なりたい自分」の達成とか
 いいます。それはそれで正しいと思う。

 ただ、ステレオタイプのような時流やトレンドに影響されない
 自分流の生き方を見いだしてほしいと思います。
 100人いれば100通り。
 200人の男と女の100通りのスタイルとスタンス。

 星の数ほどの男と女が巡り逢って、結ばれて、愛を育む。

 日経ウーマンに惑わされるな。他人のお給料なんて知る必要なし。
 女性活用度?そんなのすぐ変わる。最後のオチは少し蛇足でしたね(汗)。