あかんたれブルース

継続はチカラかな

金が欲しけりゃくれてやれ

引き寄せの法則の考察(6)



 「期待することは、物事を引き寄せる強力な手段」

 そりゃそうなんだろうけれど。。。
 『ザ・シークレット』の前半部分を読んでいて、私はあるドラマの台詞を想いだしながら唱えていました。

 「金が欲しけりゃくれてやれ、女が欲しけりゃ振ってやれ・・・」さすがにこの先は忘れた(汗)

 これは平成14(2002)年のNHK大河ドラマ利家とまつ』で
 信長の不興をかってクビになった前田利家が許され一家を構え、
 その郎党たちに合戦に臨む前、発破をかけるシーンでのアジテーションです。

 小説、ドラマの類じゃないかと笑ってはいけません。
 原作者でありシナリオも担当した竹山洋の取材と魂が込められています。

 私にはそういう風に伝わってきました。これは真理で法則だよなあ。と


 なんでもかんでも求めて欲するだけでいいのだろうか? モヤモヤ朝の上高地
 私のモヤモヤさんはすぐに解決させられてしまった。

 「人にお金を与えなさい」という論法に替わっていきます。

 そうすれば、もっともっとお金は引き寄せられてくるから。それを信じろと。

 そして、感謝の気持ちを忘れるなと。

 まあ、簡単に私的に解釈すれば、
 私たちはポンプのようなものです。個人差があって形状もパワーも違う。
 その吸引力でどんどん吸い込んでいくと思ってみてください。
 自分のところだけに吸い込んでばかりいると、行き場がなくなって
 やがて破裂してしまいますよね。

 だから与えろと言っている。

 そうすれば、ポンプの性能や許容範囲はもっともっと大きくなる。

 こんな感じですかね。

 これは正しい。

 いま、私たちを苛む閉塞感もここにあります。
 また、引き寄せの法則に対する「目減りの法則」の罠もここにあります。

 「金は天下のまわりもの」という古い言葉。昔の人は良い事を謂ってます。
 これの正しい解釈は「お金の循環論」にあります。
 自分の所で止めてはいけない。そこで機能不全に陥る。
 それは貧富の差に関係しません。お金だけじゃない。

 愛も幸福もすべて。

 人に与えてしまう。それが結果的に与えられることに繋がる。

 別に、その見返りを期待してというケチな了見じゃない。
 そういう場があるはずです。気持ちよく行動におこせる場が。
 それを見逃さない。人間の本能にそうしたい場面が多々あります。

 それを情けといって、ここ最近、バカにしてきましたが、それは間違い。
 「情けは人のためにあらず」を「ならず」と間違って考えていけません。

 自助論(「西国立志編」)の「天は自ら助くるものを助く」でんがな。

 それを言っても「へん」ってものです。「綺麗事を言うなよ」と。

 そこで、『ザ・シークレット』は私たちおバカ様が納得できるように、
 この「秘密」という法則を「欲と道連れ」論法で伝えている。

 若干、その手法がコンサルチックで自己能力開発セミナー研修のようで、
 多数がよってたかって洗脳するようで、えげつないので抵抗はあるとしても。

 まあこれは正しいと思われます。そういう仕組みになっている。


 では、何が不満なの? 何が欠けてる?

 この法則は摂理としての基本の法則です。

 幸せは個人的なものです。それを価値観としてもいいでしょう。
 
 もし、欠けているとすれば、自然の法則としての
 環境もしくは、季節感の把握でしょうかね。
 そのもうひとつのファクターが完全に抜け落ちています。
 「運命」とか「運」ってやつ。