あかんたれブルース

継続はチカラかな

朝っぱらから感情的な私を許して

引き寄せの法則の考察(5)



 欲しいものはなんでも「引き寄せ」てしまう法則。

 それは健康も例外ではありません。

 健康の持続だけではなくて、病の治療・完治も当然だといいます。

 逆説的に、健康を損なったり、病に冒されるのも、
 負のエネルギーは働いているからだと力説しているわけだ。

 説得者の一人、ジョン。デマルティーニ(医学)博士は
 「治らない病気はない」と豪語する。

 病を考えたりすること自体が病を引き寄せている。
 そういう負のイメージを払拭させる断ち切ることが大切。

 確かに、「病は気から」だと思う。

 現在の医学・医療が万能だなどとは決して思わない。
 思わないどころか薬漬けや制度、医者の資質などなど問題だらけ。

 だから、この主張には諸手をあげて賛成したい。が、だ。

 難病を抱えている幼児がいます。
 赤ん坊がいる。

 この子達は物心もつかぬまに理不尽な厄災を余儀なくされている。

 この子達が母親の胎内で、もしくはこの世に生を受けてすぐに、
 負のイメージを持ったとは「絶対に」思えないね。賭けてもいいよ。全財産!

 「治らない病気はない」と言いたい気持ちはよく分かる。
 でもね、論説が荒い。デリカシーがない。無神経だ。

 若さも永遠だとも宣う。始皇帝じゃないか、それじゃ。
 人間は必ず死にます。人生は有限なの。老いるのは当然の摂理。
 化粧品のセールストークじゃあるまいし、そこまで言ったら嫌味になるよ。

 松本サリン事件の記憶も風化してしまいましたが、
 被害者はまだ意識を取り戻していない患者として存在しています。
 この人たちがその彼方にあるという意識のなかで負のイメージを背負っているのか。
 また、それを見守る家族が負のイメージを背負っているというのか。
 少し、感情的な物言いになってしまいましたが、
 難病で苦しむ者達やその家族を思えば、ちょっとね。
 巻末のニコニコしたプロフィールのポートレートを眺めて、腹も立った。

 でもね、言わんとすることは分かるのです。
 だから私も医者に見離され絶望した中村天風が救いを求めて世界をめぐり、
 インドの仙人のもとで修行して完治させた話を紹介したりもしてる。

 人間には本来、治癒力とか免疫力とかありますから
 うまくそれを引き出して活用すれば効果は絶大なのだと、信じます。

 ただ、説得するのを第一として、
 こういった無神経で荒ぽい洗脳まがいの稚拙な発言は、
 誤解を招く危険性も大いにあるよね。

 なにかマッチポンプのようですが、この『ザ・シークレット』の
 最大の問題点はそこにあり、何かが欠けていると思わせる点もそこにあります。

 本の後半部分ではそこの話をすり替えて本質に迫っているようですが、
 計算された表現手法であっても、どうフォローしても、醒めるよ。

 私たちは途方もない現実のなかで生きています。
 そのなかで「引き寄せの法則」は大きな効果効能効力があることは認める。

 けれども、それでも、どうしても受け入れないといけない事もある。

 その時に、カルマ・業だとか、運命だとか、宿命だとか、因縁・怨念だとか
 そういうもので納得させようとする。

 そんなものは無い。断言しちゃう。
 誰に言われた! インチキ占い師か?坊主か?新興宗教もしくは新聞の勧誘員か?

 この本の企画者や製作スタッフたちが、それをどのように咀嚼しているのか、
 残念ながら、一読しただけでは私には理解できませんでした。
 私が何かが欠けていると感じるのはそのせいです。

 これは麻雀でいえば、
 ジュンツ系の役は精通していても、アンコ系の役を抜かしているようで
 (余計に分かりづらい例えかな?)
 剣道だったら面と小手だけで、胴がない?
 恋の駆け引きだったら攻めの一手だけで、引きがない?
 寿司屋だったらガリがない? 蕎麦屋だったらそば湯がない?
 ショートケーキだったらイチゴがない?
 高村光太郎の妻智恵子だったら「東京には空がない・・・」(『智恵子抄』)
 ようなもの。わかってくれる(汗)


 まあ、それでもなんとかなるんだろうけれどね。
 

 ホント、上げたり下げたりですみません(汗)。


 次回はこの本の確信部分である。だろう後半部分に突入します。
 全面的に否定してるんじゃないからね。そこは誤解しないでください。