引き寄せの法則の考察(9)
本日はもう一本。
じゃあ、何が欠けているのか?
人間は共同体(家族・組織・国家)は運に左右されています。
私たちは体験上、幸運と不運の波を強く感じている。
自身に対してと対外的なものに対する比較も含めて、強く感じてしまう。
そのなかで幸運に出会えば奇跡だと驚喜するし、
不運に打ちひしがれれば「宿命」なのだとあきらめ慰め、納得させる。
私は運命の存在は確信しますが、奇跡とか宿命は信じません。
偶然ではなく結果は常に必然であり、因果とは原因があっての結果だ。
個人にも国家にも必ずそれはあります。
運命は変化するものです。それは環境とか気候のようなもの。
春夏秋冬に時々嵐や干ばつもあれば、晴れの日も曇りの日も雨もある。
隣で雨の日に遠足中止を嘆く人があれば、隣の農家の人は天の恵みと喜んでいる。
ものは考えようでもあるし、その人の状況や環境によって、
運という事象はどうにでも解釈されてしまいます。
どこまでも無限じゃないんだなあ。これは、
あのナポレオンが失意のどん底から自殺を思い止まって、
キッチリ20年の大発展を遂げて、そして破綻する。この運命の軌跡に、
ナポレオンが急に引き寄せの法則から途中で目減りの法則に変わったとは
説得力ゼロだと思いませんか?
ダイエーの中内さんが、そうだった? そういった現実をどう解釈するのか。
相場師の世界で頂点を極めた者には「天下の」という称号が贈られます。
天下の糸平・田中平八を筆頭に
天下の雨宮(雨宮敬次郎)、福沢桃介なんかもそう謳われたものです。
その中に、埼玉県越谷出身の鈴木久三郎は天下の鈴久といわれた人物でしたが、
金儲けに奔走はしてもその目的を見いだせなくて、結果、破綻してしまいました。
こういうのを運、不運で解釈してしまうのは簡単ですが、
それだけじゃあ、なんの意味もなさない。
植物がタネから芽を出して生長して花を結び実を成らし、
そこからタネを生んで再生していくように、
私たちは自然の法則のなかで生きています。
有限ではあって無限であるひとつのサイクルがあります。
そのサイクルはパターン化されたものではない。
20年で終える会社もあれば三越や三菱のように再生と活性化に努めて
生きながらえている会社も実在する。
『ザ・シークレット』(引き寄せの法則)に欠けているのは
運のメカニズムという自然の法則です。
求めるだけ、進むだけではダメなんです。
時には引いたり、休んだりしないと。
そして、自分が本当に求めているものは何かをしっかり把握しないと、ダメ!
ダメなのよ〜お!