あかんたれブルース

継続はチカラかな

背中で語る男の渋さと重み。そして泣く

 で、マキノ映画と再会して、私のなかの日本映画ラブリーモードの
 焼けぼっくいに火がついた。

 レンタルショップで借りてきました。

 『殺陣師段平』

 1950年の東映版です。マキノ雅弘が監督していますが、脚本がなんと黒澤明

 段平を演じるは月形龍之介

 月形龍之介っていう役者はね、敵役をやらせたら天下一品でとても強くて恐い役者でした。大物。

 たとえば、「赤穂浪士」だったら吉良上野介月形龍之介。なんだなあ。

 とは別に、水戸黄門というと月形龍之介。演じた本数も14本。

 松下電器の「水戸黄門」の初代は東野英治郎でしたが、
 その前に、ブラザー提供で30分モノの「水戸黄門」があった。
 7時半から。「コメットさん」の前の番組でした。
 その水戸黄門月形龍之介。そりゃ品がありましたよ。気品が。

 ♪ 助さん、格さん、ついてきなあ 儂がやらあずにい 誰があやある〜w

 
 ははは(汗)。どうでもいいことばかり憶えております(恥)。



 さて、『殺陣師段平』。

 物語は大正の初め、新国劇に市川段平(月形)という初老の世話役(用務員さんみたいなもの)がおりました。

 元は歌舞伎役者だったんでしょうかねえ。無学で字も読めない。

 それでも劇団主宰者・澤田正二郎市川右太衛門)に拾われたことに恩義を感じる律義者。

 そんな恩師澤田が悩んでおります。新しい大衆演劇を模索するに段平は、
 「先生、わての殺陣を見ておくなはれ」

 しかし、段平の殺陣は歌舞伎調。澤田は優しく諭します。

 「違うんだ、段平。新国劇が、私が、求めてるのはリアリズムなんだよ」

 「リア、リアリズム。なんでんねん」

 「うん、写実だな」

 「しゃ、写実。なんでんねん」


 まあ、こんな感じです。大学出の澤田正二郎を敬愛する無学な捨て扶持役者の段平ですが、
 「よっし、わしが先生の求めてはる写実の殺陣を作ったる!」

 そして、生み出しちゃった。

 段平のリアリズム殺陣は、新国劇の人気を爆発させます。大成功。
 しかし、澤田正二郎は新しい大衆演劇を追求してチャンバラ劇と決別する。
 無論、段平の殺陣を他の劇団は認めてスカウトしようとする。

 でもね、段平は尊敬する恩師・澤田に認められたい。必要とされたい(涙)。

 相容れない二人の理想。そして、段平は新国劇を出奔してしまう。

 おりしも、恋女房のお春(山田五十鈴)を亡くし、失意のなかで酒に溺れていきます。

 
 時代の流れというか巡り合わせというか、人生というか、、、。
 歳を重ねてしまった職人の哀愁が飲み屋の茶碗酒を握るその背中で語る。

 巧い。この背中。
 月形龍之介の背中を観よ!


 ドラマは数年後、酒が祟って中風になった段平が死の床にあって
 再度、澤田に「段平の殺陣」を伝えるというものです。


 月形龍之介は旅役者出身で、歌舞伎役者出身の大物スターとは違います。
 そして、マキノ雅弘の父・牧野省三(「日本映画の父」「大将軍」)に拾われた。
 チョイ役からコツコツ。大部屋役者だったんですからね。実際に。

 苦労人なのです。なんか映画とダブリます。

 剣道は三段の腕前が「重い剣さばき」に現れて、マキノ時代劇の一翼を担ったと評される。

 「月形はただ坐っているだけで、サムライになる」

 後年は撮影中の骨折で神経痛を病み、不自由したそうです。
 1970年に脳出血のため死去。葬儀委員長は盟友片岡千恵蔵

 その葬儀で伊藤大輔(映画監督)はこう語ります。

 「私生活でも古武士然として、それが演技の上にあらわれていた。
  彼の剣には理屈があり、それに渋い芸風が加わり、
  なんともいえない、重みがあった。」

 どうです、この月形龍之介の『殺陣師段平』。

 近くのレンタル屋にもしあったら
 一度、男の渋さ重みを堪能してみませんか?