あかんたれブルース

継続はチカラかな

今日は笑わないで

 『殺陣師段平』を観て、ふと考えました。

 クライマックス近く、自分の殺陣を二十円で買ってくれと友人に頼んで、
 澤田から了承とその二十円を受け取って喜ぶ、寝たきりの段平。

 その金、どうするのかなあ? 

 段平は不自由な体を起こして、枕元から六十円の入った紙袋を取り出す。

 「わしなあ、団を飛び出したとき、懐に団の金八十円をもったままやったんや
  それもお春(妻)の葬儀やなんかで、あらかた使こうてしもうた。

  それからは酒に溺れてご覧のとおりや。

  それからこやつ(娘)がコツコツ仕送りをしてくれよってなあ

  それを少しずつ貯めとって、いまここに六十円ある。

  その二十円を足してな、わしが死んだら、八十円を澤田先生に返してほしいんや」


 もう死にかけてますからね。青色吐息。

 義理堅いといえば、そうなんですが。なにかその、

 清いというか、美しさを感じた。

 長谷川幸延の書き下ろしの芝居本といえばそれまでですけどね。


 「引き寄せの法則」で「金が欲しけりゃ」云々の台詞と作者を調べたくて、
 義母の書棚から「利家とまつ」の番宣ムックを手に取ったとき、
 巻頭のイントロダクションのメインコピーにこういう言葉がありました。

 「信じる力」「美しく生きる」

 前田利家は苦労人です。彼が信長の家臣から秀吉の重臣として重用された理由はここにある。
 算盤も立った(利害勘定ではなく)ようですが、
 決して要領や世渡り上手なタイプではありませんでした。
 槍一筋の武人でしたから、合戦でたくさんの人を殺めたそうです。
 それを本人も深く受け止めていた。

 前田利家の生き様は確かに美しい。

 芝居、小説と違って歴史は事実です。
 その歴史に学べと言われるけれど、なかなか見所を誤るものです。

 どこかで、前田利家はラッキーだった。とか
 若い頃、秀吉と長屋隣で女房同士も仲良しで相性もあったからラッキーだった。とか
 柴田勝家の与力だったくせに、変わり身のはやいチャッカリさん。とか
 結局、勝ち組になって加賀百万石の領主になって万々歳。とか

 でもね、そんなあやふやなラッキーさんだけじゃ世の中渡っていけないものです。
 それに、世渡り上手なんて掃いて捨てるほどいて、みんな掃かれて捨てられてる。

 そんなことよりも私たちが一番大切にしないといけないのは
 「美しく生きる」ことじゃあないだろうか。

 それを自己満足だとかいう声もあるでしょう。内から外から
 そんな野次を聞くな。

 幸せは個人的なものです。人それぞれ
 でも、すべての人に言える幸せの生き方は「美しく生きる」ことですよ。絶対。

 真理として、幸せの方策は「自分を愛すること」です。

 そりゃそうなんだろうけれど、それがなかなか難しい。と言います。

 じゃあさ、見方をかえて、美しく生きるようにしてみたらどうでしょうかね。

 一朝一夕にはできないかもしれないけれど、常にそうあるように努める。

 名誉とか栄光とか殖財とかじゃなくて、
 自分が美しいと思えるような生き方をしてみる。

 そこまでならなくても、そのために生きる姿勢を貫いていられれば、
 きっと自分のことを好きになれますよ。愛せる。

 
 正直者はバカをみる。といいます。
 でも、そういった現実主義っぽい提言に矯正されて、
 自分の好まない生き方をしても最終的は辻褄が合わなくなってドボン。
 人間には正しいことをしたい。という本能があります。
 それを曲げてしまうと無理が生じるものです。

 コンプレックスとか劣等感があってもいいじゃない。
 一流のそれを持ちゃあいいよ。

 「自己愛」という言葉だと語弊もあるでしょうが、
 「美しく生きる」
 だったら、少しは受け入れてもられるんじゃないかと思って、
 恥ずかしながら、アップしてみるところです。
 どうかお笑いにならないでください。