あかんたれブルース

継続はチカラかな

決してナルシスではない「幸福感」

 美しく生きる。の続き

 美しく生きる。

 それは、自分なりの美学というものでしょうかね。

 それを自己愛と表現すると語弊があるが、としました。
 性善説性悪説の論争なんてナンセンスなのです。
 人間は本来「性善」なものです。美しく生きたという欲求がある。
 
 心と体は一体。

 その欲求を満足させられない環境では疲弊に陥る。

 心が疲弊すれば、体が反応して機能不全・失調を起こす。病に冒されます。
 
 無論、脳も臓器のひとつです。


 オスカー・ワイルド
 「あらゆる者は愛と賞賛を求めて生きている」と言い残しました。

 斜に構えて生きたオスカーにしては上出来な名言でしょう。

 人は愛を求めてやまない。

 愛されたい。それは認めたられたいからです。

 誰でもいいのではない。自分が認めたもの、選択したものに。

 だから愛します。

 愛することは愛されることへ繋がっている。

 けれども、必ずしも報われるとは限りません。

 なぜなら、究極の愛は「無償」だという。

 それでも、かまわない。なぜ?

 自分が愛することができたことに幸せを感じるから。
 愛するものを持ち得ていることを確認でいたから。

 そのとき、自分を認められる。
 自分を愛せる。
 美しく生きていること。

 それが、すべて