あかんたれブルース

継続はチカラかな

人間の気質という匂い

 取り敢えず、
 人間個人の運命がそれよりも大きい共同体の影響を受けていることまでお伝えしました。

 個人<家族<組織<国家<地球(宇宙)とか、かな?

 ここで個人の話に少し戻ります。

 人間個人の人生には周期とか節目があるとしました。

 その期間をどのように過ごすかで、次のステージに移行するときに違った座席指定となる。

 自分を持て余した人や流されてしまった人には次のステージもそれを引きずっていくわけです。

 そりゃそうですよね。ある節目と節目でコロッと変われるわけがないもの。

 過去、現在、未来はつながっている。

 後戻りできない。一方通行一車線。
 ただし、未来は未定。現在の位置から見渡せる範囲すべて。落とし穴もあるとして。

 何を言いたいかというと、非常に書きづらいことですが、人間にランクがあるということです。

 「天は人の上に人を創らず」と諭吉は言いましたが、嘘です。

 つい最近までこの言葉は強く鳴り響いていましたが、
 文部省とビートさんのおかげで、
 「世の中平等なんて有り得ない」と思う人も増えたはずです。

 私たちに平等に与えられているものは「死」だけ。それだけ。

 まっ、これは環境の話として、ここでは端折ります。

 才能の才覚も感性も度量も価値観もすべて個人差があります。

 「人それぞれ」という言葉を私はよく使いますが、そこには横軸だけの
 多様さの他に、
 縦軸のランクの意味合いも込めている。

 人間の器。というものを連想するかもしれません。

 その大きさ深さの容量のようなもの?

 とは、別に。

 なんというか資質のようなもの。

 器のキャパシティーというか大小は存在しますよね。人間付き合いでそれは強く感じます。

 また、これは本人次第で大きく成長したり、萎んでいったりもするでしょう。

 もって生まれたものある。

 私の思う資質とは、その持って生まれた容量のことよりも、
 その器の中に息づいて「気質」のようなものです。

 それは才能とか能力とかではなく、その人間の醸し出す匂いのようなもの。

 人間には相性というものがありますから、感じ方も違うでしょうが、
 それを差し引いても、この気質というものは無視できない。

 どんなもの?

 そうねえ、たとえていうならば、

 一途だったりとか、健気だったりとか、正直とか素直さとか、繊細だったり慎重だったり、
 自分をどこか置き忘れたような 潔(いさぎよ)さ、
 
 そういうものを善良という言葉で表していいのがどうか、、、。微妙
 
 ま、その醸し出す匂いにふれたときに、爽快感を感じる人たちがいます。


 人間の器とか度量というものをその大きさ広さの容量として解釈していますが、
 量とは別の「質」もあると思うわけだよ。しみじみと。この歳になると(涙)

 だから、そういう人たちが、思いあまって自分を苛んでいる場面に出会うと
 胸がきしむときがあります。

 「人間の幸せは自分を愛すことにある」と言っても、それがなかなか伝わらない。

 彼らの彼女らのもうひとつの特性は「不器用」でした。

 それが故に、他人と衝突したり、他人に気を使いすぎたり、
 自分を必要以上に苛んだりしているので、なかなか自分を愛せない。ヤキモキしちゃう(汗)。

 心の知性でいう内心知性「自己受容力」の問題といえばそれまで、ですが。

 でも、この本来持って生まれた「気質」ってものは大切なもので、
 こればっかりは不変なものです。とても貴重なもの。

 これまで、あまり評価されることもなく、
 それが故に矛盾の要因になってしまっているようですが、
 はやく「自己受容力」とかいうもので、その素敵な気質を認めて欲しいと

 切に願います。

 ちょぴり情緒的な表現になってしまいましたが、
 これも幸福の法則の大きなファクターだと考えます。