「鰯の頭も信心から」という言葉があります。
イワシの頭のようなつまらないものでも、信仰すれば非常に尊いものに見えることから、
信仰心の不思議さをたとえたことわざ。
逆にいうと、罰(バチ)が当たる。かも
細木がよく言うよね、「アンタ!地獄に堕ちるよ」って、とか(汗)。
伊藤博文と井上馨が大村益次郎を口説いて、英国留学に行った頃の話。
もっとも彼らは誤って「水夫見習い」と説明されて、行きは奴隷のような扱いを受けていたので、
この客室には関係ありません。
日本からアジア、アフリカをまわって遙かイギリスまでの大航海です。
この客室の片隅に白い陶器の鉢があるのだそうです。
その鉢の奥をのぞくと、何か絵のような模様が描かれている。
その側には文字が書かれていたそうです。
絵は人の目玉のような感じだったとか。不思議なものだなあと。
その後、明治3年に品川弥二郎が渡英したときも、それはありました。
弥二郎は母親が旅の安全を願って手渡した観音像を肌身離さず持っておりました。
その陶器の鉢をみつけると、目玉の形状を蓮の葉っぱと解釈したとさ。
観音像をそこに入れて、机の上に置いて、台座みたいにして、
朝夕拝んだ。
旅の安全を、青雲の志を、故郷の父母の健康を、日本の未来を。。。。
実際に、この絵は目玉だったのだそうです。
その近くに書かれていた英文を訳すと、
「上手にオシッコすべし、外にこぼしたりするなよ。
そうすれば、私が見たモノは誰にも言わないから」
つまり、オマル(簡易室内トイレ)だったわけですね。
あの品川弥二郎はその長い航海中、母親の思いが込められた観音像を
オマルに入れて拝んでいたわけですねえ(汗)。
確かに、鰯の頭も信心です。
悪気がなければ許される? 数子、どうなの?
写真は銅像になった品川弥二郎