あかんたれブルース

継続はチカラかな

嫌われる女 - 2

 5年経って、私は人生二度目の火達磨状態から満身創痍。

 原宿のキディランドの裏にある「B」というバーで萎んでおりました。

 「馬太郎さんじゃない?」

 そう声をかけられて、顔をあげるとカウンターの横の席に女性が立っている。

 一瞬、誰だか分からなかった。浅川明美だ。

 すっかりスリムになっている。服もシックだ。

 私たちは奥のテーブル席に移りました。

 「貸しスタジオの件はどうなりました?」

 「バブル崩壊ってやつね。銀行からお金を貸し付けられて、お決まりのパターンよ。
  帰ってきたら、もう他人名義になっていたわ。親を責められる話じゃないけどね。」

 親の資産をあてにしたのが、そもそもの間違いだったと笑っていました。

 なんか、雰囲気が違う。

 「浅川さん、変わったね」

 「ふふ、いまなら 少しは好みに合うかしら」

 「・・・」

 「わたしね、癌になっちゃった。」

 彼女の意外な言葉。

 帰国して3年経つそうです。今は外資系の金融機関に勤めているとか。
 半年ほど前から、体の不調が酷くなり、最初は例の後遺症かと思っていたのですが、
 会社の定期検査で引っかかって、再検査でそう診断されたと。
 とても事務的に説明してくれました。

 今は放射線治療中で、ちょうど先週ワンクール終わったところだと。

 経過は順調と言ってましたが、髪の毛は抜けて、実はカツラなんだと笑います。

 抗ガン剤ふくめて薬漬けで嫌になるとはこぼしていましたが、
 なにかとても自然で、同情するタイミングを逸してしまいます。

 「おかしなものでね、治療をはじめてから事故の後遺症の痛みがなくなったの。
  人間の体って単純なものよね。痛みにも優先順位があるみたい」

 「痛みの優先順位ですか」

 今の痛みや苦しみも、次に訪れるそれが大きければ、すべて消してくれる。
 悲しみもすべて優先順位に沿って軋んでくれる。

 悲しみよこんにちは。なんて映画か小説あったよね。

 その夜は名刺交換をして別れました。

 もっとも、彼女は休職中ということで、私の名刺だけ手渡しただけでしたが。

 送っていこうかと言ったのですが、

 「メールするから」と明るく手を振って、彼女はタクシーに乗っていった。


 数週間後、彼女からメールが届きました。

 来週から築地の国立ガンセンターに入院するとのこと。
 多分、暇だから時間があったら遊びにきてね。

 どこか、合宿でもするような口調の文面だった。

 彼女が入院しただろう日の一週間ぐらいしてから、
 朝日新聞社の向かいにある、その病院を訪ねました。

 改装中のせいなのか、一階はなにか倉庫のような雰囲気で違和感を感じた。

 病室は簡素で花瓶に咲くガーベラの鮮やかな赤がひときわ目を惹きました。

 あの頃の浅川さんの口紅の色のようです。

 目の前の彼女は化粧ッ気もなく、頬もこけて、すっかり薄幸のモードですが、
 とても美しく感じました。

 頭はカツラではなく、ニット風の帽子を被っていた。

 6階に談話室があるから、そっち行こうよと誘われました。

 病室の外の各階には椅子があって、患者さんや見舞客が話している。
 その表情が明るいのが意外でした。

 私の気持ちを読まれたようで、
 ここの階はまだ軽い患者さんが多いところなのよと、彼女が説明してくれた。
 それでも、車椅子で点滴のチューブを鼻にさした老人が硬直して有らぬ方向を見つめている図は、
 やぱり、ここはガンセンターなんだなあと。痛感。

 自販機で彼女にコーヒーをご馳走してもらいました。

 そこで何を話したのか、憶えていません。

 ただ、別れ際に

 「わたしのこと、忘れないでね」と言われた。

 うん、とだけ言って。また、来るよと言って病院を後にしました。

 ふり返ることができなかった。

 
 私は彼女との約束を守ることができませんでした。

 二度目のお見舞いの前に彼女の訃報を知ります。
 例の御注進君から電話でそれを知りました。通夜には間に合わなかったですが、
 彼と一緒に告別式に出席しました。

 「39歳って、まだ若かったですね」と彼。

 う〜ん、俺より2歳年上だったわけか。彼女、最後まで年を明かさなかったもんね。
 ゴメンね、5歳も年上なんて思い込んでしまってて。
 ゴメンね、お見舞いの約束、果たせなくて。

 でも、もうひとつの約束は、守るよ。


 「わたしのこと、忘れないでね」