馬の話から騎手・競馬の話へ続きます。
昭和62年馬のゴールドシチーの話でしたが、その菊花賞後の暮れの有馬記念は大荒れでした。
一番人気のメリーナイスはその年のダービ馬で映画『優駿』のモデル(撮影用の)になった馬。
これが、スタート直後に落馬!
二番人気だったのかな? 菊花賞を制した二冠馬・サクラスターオーは
4コーナーを回ったところで骨折。
私の有馬記念は4コーナー過ぎで、終わった。
「4 - 4」夢馬券の大波乱。この時、死ぬほど馬券を買っていた。死ぬかと思った(汗)。
サクラスターオーはその後治療も空しく「予後不良」で薬殺安楽死処分。
同馬騎乗の東信二騎手の奥さんが『ガラスの脚』という手記を書きました。
持っています。が、まだ読んでいない。読めない(涙)。
一方、メリーナイス騎乗の根本騎手はファンの罵声とマスコミ関係者から非難を浴びた。
その最大の原因は「長っ手綱」
あぶみと共に手綱は馬をコントロールする最大の要です。鞭よりも重要。
手綱を引くことで行きたがる馬を制御させます。
逆に手綱を緩めると馬は気分よくグングン前に疾走する。馬は本能的に走りたい動物です。
根本はスタート時点から手綱を緩めて、長く持っていた。
その為に、ゲートの中から暴れた馬にバランスを崩し、
結果、振り落とされてしまった。
というのが有識者の見解。
若手の騎手の最近の傾向として「長っ手綱」は以前から問題にされていたようです。
しかし、アレですよ。難しいものです。
問題が起きたので根本の「長っ手綱」は言語道断となってしまいましたが、
根本とすれば、気分良くスタートさせたかった。
そこで、愛馬が暴れたるという事態から最悪のケース。という感じでしょう。
手綱を締めていれば良いということでもありません。
まあ、根本も性格は良い人間なのですが、下手でしたからね(汗)。
武豊だったらこんなヘマはしなかったかも。
人間の世界でも手綱に喩えてハンドリングするのは難しいものです。
指導する。
それよりなにより、自分自身をコントロールすることさえ難しい。
とかく、手綱を締めすぎて閉塞したり、緩めすぎて自堕落になったり。
兼ね合いだ、いい加減だあ、と言うけれど、それがまた難しい。
で、武豊がデビューしたのが、この昭和62年。
競馬知らない人でも武豊の名前や顔は知っているでしょう。
この年の競馬雑誌(「競馬報知」)の表紙に武の姿を初めて見たとき、なんじゃこの子供は!
と、それほど幼かった。ホッペも赤い。小学生かと思った(汗)。馬にしがみついてた(笑)。
天才でしたよね。
最初は親の七光りかと認めていませんでしたが、つくづく、納得させられた。
武を嫌って馬券を買うので、余計に思い知らされました。
なぜ、武が天才かというと、愛がある。
武は騎乗する馬に愛をもって接している。
馬もそれがわかるんですね。みんな武のことが大好き。ラブラブ。
そりゃ言うことも聞きますし、能力全開、いやそれ以上に頑張るかも。
あれはスーパークリークという馬だったと思います。
調教だったかレース前の輪乗りだったか、
武がね、体を寝がして騎乗するスーパークリークのたてがみを抱きしめる図。
後ろから抱きしめている。
「ボクのスーパークリーク。大好き」って、聞こえてきたよ。空耳かしら?
私はそれを目撃して、思わず赤面しちゃった(汗)。
愛だねえ。愛。
手綱よりも、鞭よりも、愛が奇跡を生み出します。
それは親の七光りでもテクニックでもマニュアルの類でもない。
偶然ではない必然。その正体は「愛」なのだ。
その時、それを確信できなかったが故に、私は大きな痛手を被ります。
しみじみと、愛だねえ。愛。