人間の幸福の価値観は個人差があります。それは不幸に対しても同じ。
目黒の秋刀魚を食べて喜ぶ殿様は、尾頭付きの鯛なんかに感動なんてしません。
途方もない厄災を背負った人が、
視界に自分の鼻が見えて気になると悩む人を慰める場合もある。
それでも、幸福や不幸は個人的なもので、とても比較できる代物ではない。
その個人としての人間には、越えられない一線があるものです。
それを、「こだわり」と訳せばいいのか、わからない。
本郷の坂を下りれば小石川界隈。
先月、28日にここで事件は起きました。
「東京・小石川一家6人死傷」事件。
唯一、無傷で難を逃れた小学校6年生の長女が近所に助けを求めた。
「うちが大変なことになっている」
ニュースで御存知ですよね。
凶行を行った父親は42歳でしたね。なんとも痛ましい事件でした。
その翌日、私は武田さんと恒例の二人だけの花見で、中川の土手でこの事件を語った。
製本会社を経営しているそうでした。
小石川という音羽の講談社のお膝元。
また、大日本や凸版印刷の城下町のひとつでもあります。
事件の動機には、印刷会社の工場が埼玉に移転することから、
この父親の会社も移転を余儀なくされたことから。
数年前に、脳梗塞で倒れた祖父が頑なにそれを反対していたそうです。
板挟みの父親。動機の最後に「ストレス」という言葉が適用させる。
製本会社って聞くと中小企業という言葉が浮かびますよね。
活字離れで本が売れない時代。出版社、印刷会社以上に、
こういった中小の関連業界は大変です。
武田さんはこう話していました。
「 馬太郎君、あの辺りの製本屋とかは結構な資産家なんだよ。
昔からやっているから敷地面積も広い。
亡くなった先代も犯人の旦那も、その一線が越えられなかったんだろう。
中小といえども、小であっても、長は長だからね。
それまでの生活や価値観はなかなか変えられないものだ。 」
人間が生きて往くには、様々な「しがらみ」があるものです。
あちらを立てればこちらが立たない。
この父親の凶行をそこからの過度のストレスから正常な判断ができなかった。
と、結論づけてしまえば、その通りですけどね。
その話を先日、ハル教授に話したら、彼はこう言っていました。
「 あの事件で思い止まった同業者がたくさんいたでしょうね。 」
違う世界、違う環境の人間からみれば、大した「一線」ではないと思うかもしれません。
都内の土地を処分して、埼玉に移転することが、都落ち?
そこまで思い詰める必要があるのかと。
税金の問題もあったかもしれません。それでも、
そこまで追いつめた原因の根底にある大切な家族を手にかけてまで、、、。
人間には越えられない一線がある。
けれども、それを越えた人間と越えられない人間の差は大きいものです。
運命は変化して、必ず私たちに何かのシグナルを、兆しを与えます。
それを幸運とか不運とか判断するのではなく、
その兆しをつかんで、次の一歩を踏み出す勇気が必要だと思います。
他人の不幸は蜜の味。とか、他人の不幸を傍観して胸をなでおろす。
なんてことではなく、自分の越えられない一線っていうものを
常日頃、考えておく必要があります。
誰のためではなく、自分のために。