本物、一流。と話を流しました。
どこかで、途方もなく感じて、別次元の話と思っていけません。
それは言葉の固定観念でしかなく、時代のトレンドです。
それを常識だと錯覚している。常識なんてネコの目のように変わるもの。
そういったものに翻弄されてしまうと、本質を見失ってしまいます。
別に、喧嘩を売る必要はありませんが、
そういうものはそれなりにと考えておく余裕が必要なのでしょうね。
原則論とかストイックに考えることはない。そう思うと気が重くなるだけ。
人間というものは不思議なもので、健全(善良)に生きることに歓びを感じるものです。
ウソ。と思う人もいるかもしれません。
人間ってもっと自堕落でわがままで御都合主義で不道徳な生き物よ。って
それは一過性のもので、結果的にそれは心と体。つまり臓器に不調を招きます。
人が生まれて来たのは「幸せになるため」「幸せになりたい」。
これが目的。
違うでしょうか?
健全はそうあらねばならないルールではなく、
幸せになるための手段です。
それでも、そんな余裕はない。私は守るだけで精一杯。
ホンモノとか一流なんて別次元の話とガードを固める人もいるでしょう。
なかなかつらい世の中ですものね。でも、ちょっと聞いて、
先日、風呂上がりにチラッと観たテレビで、
どこかの裸族のグループが英国ロンドンにホームステイをする企画。
現代文明とはほど遠い場所から彼らがタイムスリップした大都会。
目を見張るわけだ。
しかし、その驚きは次第に戸惑いに変わります。
街のあちらこちらに横たわるホームレスの姿が彼らを戸惑わせた理由でした。
「この街は不思議だ。こんなに豊なのに、なぜ彼らはあの人達に無関心なんだろ」
そう、彼らの村は原始的共産主義とでもいいましょうか、
財産は個人のものではなく村全体の共同のものなのです。
各人の家を建てるときは村人が総出で作っているのだそうです。
私は現在の中国などの共産国家というものになんの評価もする気はありません。
とは別に、その思想が理想を追求したものだということは理解できる。
資本主義→社会主義というプロセスを経て、→共産主義で完成される理想の世界。
けれども、人間はそれをうまく使いこなすことができなかった。
また、この裸族の理想的な共同体にしても、その中では理想でしょうが、
ひとつ山を越えた他の共同体に対しては違ったスタンスをとるかもしれません。
それはそれとして、この「無関心」っていうのがくせものです。
先進諸国、民度の向上は豊かさと歩調を合わせて
「個人主義」というものを流布させました。
尊重する心といえば聞こえはいいですが、その側面には「無関心」がある。
「自分だけ」「自分だけは」
文明病の根源はここから発しているのでしょうねえ。
一度、それを切り離してみるといいのでしょうが、
そんなの無理。絶対、無理! となってしまいます。
いや、無理じゃない。
そう思ってしまうのは、まだ追い込まれていないから。もしくは知らないから。
それでも、それに苦しんでいる人はたくさん存在します。
溺れているようで藁をもつかむようですが、
身にまとっている厚手のコートを脱ぐことをしません。
水がどんどん染みこんでその身を重く深みに誘うのに、脱ぎさることをしない。
本物とか一流とかは決して泳ぎの達者な特別な人を指すのではないと思います。
人間の体は、水には浮くようになっている。