あかんたれブルース

継続はチカラかな

一流という生き方

 本物と偽物。そして未熟者。の続き

 自分が未熟者だということは充分過ぎるほど理解できても、

 ホンモノって難しい。も、木鶏ですか(汗)

 ちょっと視点を変えて、一流っていうのはどうでしょう。

 一流になる。なにかを極める。

 これだったら少し具体的なのでわかりやすいかなあ。。。

 一流があれば、二流三流もあるし、自分は、、、一〇八流かしら(汗) 遠いなあ(涙)

 それでも具体的だ。

 勤め先とか出身校などのブランドじゃないぞ。

 話を混ぜっかえさない! 言葉遊びするな!

 持ち物で身を包んでもダメ。中身の問題です。


 そういう感じで、
 「一流」という言葉の固定観念から拒絶反応をしめす人もいるでしょうが、
 一流の生き方をする。目指すっていいと思います。

 その劣等感でさえも、一流であれ。以前、記事で書きましたよね。
 ソースは吉行淳之介でしたが。


 人間の器とか語ってまいりましたが、その量というか広さ大きさとは別に、
 質としての素材や薫りも大切ではないかと書きました。資質というのかな。

 目に見える能力とは違う次元のものでしょうかね。

 ときどき、あれ?って感じられる人に出会ったりします。

 その言葉のなかや仕草、ちょっとした気配りや行動などで、感じます。

 そういう人に出会うと、嬉しくなります。


 一流というテーマで宮城谷昌光が面白いことをエッセーに綴っていました。

 とある匿名の読者から心のこもったハガキをもらったそうです。

 彼も感じたのでしょうね。嬉しかったんだと思うのです。

 いや、誉められた云々とかそんな了見の狭い話じゃないですよ。

 文章のプロじゃないですか。そこはそこ、ちゃんと行間読むよね。

 で、宮城谷は感じたわけだ。

 この送り主に心の余裕を感じたのです。そして恩師立原正秋の言葉を思い出す。

 「 一流の人は、余裕がある。余裕がなければ、一流ではない 」


 そして、宮城谷はこう綴ります。

 「 余裕のない人に会うと、私はさびしくなる。

   その人のさびしさがつたわってくるのだろう。

   人はさびしいものである。

   それもわかる。

   が、わずかなことで、そのさびしさをたのしさに変えることができる。

   そのしくみは、自分のことしか考えない人には、

   たぶん、死ぬまでわからない。 」



 私は自分自身が一流になれるかどうかはわからない。

 でもね、宮城谷が言うように、心に余裕を持てる人間には成りたい。

 そのさびしさをたのしさに変えることができる人になりたい。

 それを一流というのなら、

 言葉尻に囚われることなく、一流になりたい。

 なりたいよ~お(涙)



 お粗末様でした。