色々な人がいるのが世の中ですから、色々な意見があって当然です。
なにも言論統制しようとか弾圧しろなんて思っていない。
逆に、中国の大学生や留学生が中国ナショナリズムのシュプレヒコールのほうが気味悪い。
学生は学生らしく、体制に異論を唱えているのが健全なのかもね。
日刊ゲンダイじゃ困りますが(汗)。
しかし、報道されてる中国の若者の姿は本物なのか?
中国の友人に聞いてみました。意外な返答。
「あれは報道の仕方がおかしい。チベットは階級制度が激しく、
僧侶が非常に大きな権限も持っていて、中国はそれを是正、云々」
普段は中国政府に批判的な彼が、どうしたんだろう。。。
そりゃ、李朝・朝鮮だって、清国だってパラダイスじゃなかったんだけれど、
かといって、それとこれとは話の論点、次元が違う。
まあいいでしょう。それ以上は私もツッコミしなかった。
これとは逆に、日本人の場合は色々な意見があってまだマシなのか。。。
でもさ、意見や考え方も色々あり過ぎるのも収拾がつかなくなります。
何がなんだか分からなく、ならない?
多分、民度の向上とか情報多さ、そして知的な人たちが多いんだろうな。
とても良い事のように思えますが、どんな物にも長短は必ずあります。
人間の格から思考という枝葉が延びていく知性は
陰陽学でいうと「陽」であると考えられています。
これが発展していき過ぎると細分化されて収拾がつかなくなる。
また本来の幹(核)である本質が立ち枯れていってしまう。
幹が痩せ細り、枝葉ばかりが茂って、結局は本体が枯れてしまうのだと言います。
なんか、いまの日本の状況ってこんな感じ、じゃないですかね。