あかんたれブルース

継続はチカラかな

男の底意地の悪さと女の気構え

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 「イジメ」について

 もう分かり切ったことなので前提云々は省きます。視点を変えて

 日本人の、男の、イジメ。について

 先々週でしたかO〜MAさんのブログに面白い記事がアップされていました。
 その記事のURL: http://blogs.yahoo.co.jp/nkydr632/41854295.html

 イジメという以前の底意地の悪さ。日本人だけではないとは思うのですが、
 この「宿阿」というものを司馬遼太郎は風土病と考えたようです。

 「特に男の」という部分に私は見張った。

 陰湿というと、女性的なイメージがあったのです。フェミニンさんゴメンなさい。

 しかし、改めて思いおこせば、男の陰湿と底意地の悪さ、虐め。あるね。

 女の腐ったような奴。フェミニンさんゴメンなさい(汗)。

 このエッセイでは「官僚社会、学会、文壇などと限定」しているそうですが、
 そんなことはない。組織、共同体ならどこでもあります。そう思わない?

 最近、「舅」のイジメに苦しんでいる人と出会った。

 嫁姑の確執ならよくあります。
 森鴎外の場合とか明治の頃から有った。嫁も強気なんです(笑)。

 だいたい舅というのは嫁には寛容、婿には点が辛い。
 地域がらや環境土壌などあるのでしょう。たまたま非道い婚家だった、とか。

 いや、ちょっと待てよ。

 以前も記事にしましたが、DV。それと婚前のデートDV

 女性の側からもあるそうですが、圧倒的に男の側からのほうが多い。

 最小の共同体で行われる「イジメ」って奴です。

 原因がストレスにあるのは充分理解できるので、この件も書きません。

 イジメに対して、「イジメられる側にも問題がある」という意見があります。
 これも分かる。

 でもさ、イジメの構造、根底には、
 イジメる側がイジメられる相手を物色して、確認して、やっている。

 イジメても大丈夫と安心して
 ストレス解消や己の精神のバランスをとるために利用している。

 「そんなことはない。彼はその後、後悔している」なんて考えてはダメ。
 そんな反省は屁の突っ張りにもならなし、
 恥知らずの絶好の隠れ蓑でしかありません。余計に状況は悪化するだけ。

 分かり合う、理解し合うっていうのは、そんなものじゃない。

 相手によって、寛容なんてものがなんの効果もなく、むしろ、
 その悪循環を増長させる場合も多いものです。

 「じゃあ、彼はどこにも逃げ場がないじゃないです」
 なんて考えるのも言語道断。それを愛だなんて錯覚してはいけない。

 ストレスがあるのなら正当なその当事者(事)にぶつかるのが当たり前、
 そんなの猿にマスターベーションを教えるようなもの。だな

 啓蒙本は「許せ」「受け入れろ」を連呼するけれど、時と場合によるよ。
 頭が痛いのに歯が痛いのに四十肩でつらいのに、正露丸を飲んでいるようなもの。
 胃を壊すのがオチです。


 「宿阿」という日本人特有の気質が存在する。
 
 私たちの大多数はみな善良であるけれども、これは確かに在る。

 それを、教養や知性や良識やプライドでおしとどめているわけだ。

 ストレスで切羽詰まった者達は楽な方の逃げ道を見いだそうします。
 その方向に道筋を作ってはいけません。依存させてはいけない。

 「ふるさとは遠きにありて想うもの」と詠んだ室生犀星という詩人・作家がいます。

 面白い顔の人で、中学高校の現国の教科書でポートレートナンバーワン。
 因みに2位は正岡子規、3位は宮沢賢治かな(笑)

 彼の作品に『舌を噛み切った女』というのがありました。
 (その舌とは相手の舌ね)

 この姿勢と気迫でいこうよ。


 そして男達よ、強くなければやさしくなければ、生きる資格はない。まったく


 
 ネットの話はまた次回





写真は火鉢にあたる室生犀星
あにいもうと』『杏っ子』が有名ですかね。