あかんたれブルース

継続はチカラかな

卑怯と無責任と理解ある原則論者の不気味さ

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 ネットやブログで感じるのは
 議論ではなくて、相手を言い負かす「勝ち負け」の臭い。

 これもディベートブームの徒花か。
 バラエティーショーモードの激論トーク番組の影響かしらん?
 政治家や有識者がプロデューサーの意向に素直です。

 それはそれとして、ブログの場合は、

 ターゲットにされるのは女性が多いようです。
 なんとなく言い負かせるというイメージがあるんでしょうかね。

 テーマは時事問題や哲学的テーマが多い。答えの解釈が様々なもの。
 (歴史解釈なんかもそれに入りますかね。100年未満のもの)

 だから一緒に話し合って一番近いところを考察しましょう。っていう趣向なんですが、
 連中、はじめから一緒に考えよというなんて気持ちサラサラないんだもの。

 次第に、理詰めの範疇を越えてくる。

 それが紛糾してエスカレートすると、誹謗中傷、嫌がらせに発展する。

 ハンドルネームなどの仮面が真実をさらけ出す。
 
 いや、地金で出るってやつだ。

 責任のなさが性根を暴露させていることに気づかない。

 現実世界で認められない鬱憤を、姿を隠すことで晴らす。
 これをストレスの発散といえるのかどうか、はなはだ疑問だ。募りそう(汗)

 けれども彼らは必死。
 勝つことに必死です。どうしても勝たないといけない理由がある。

 しくじれば自己否定になると考えるから、死活問題。

 もう論点も争点も関係ない。最初から関係ないんだ。
 肯定されることだけを求めていたのですから、仕方ないのかも。

 だから議論も相手によっては不毛なんだよね。

 連中が色々なところを物色しているってこと。勝てそうな奴を探してる。

 イジメの構造と同じ。

 学校のイジメ問題に「携帯電話」というツールが加わって
 大きな問題になっているようです。

 する側とされる側には奇妙なバランス、市場原理があるようで、
 何かの切っ掛けで「される側」に変わる緊張感。

 本来、道具として、使い方によっては、
 素晴らしいコミュニケーションツールになるはずが、困ったものだ。
 何とかとハサミは使いよう。ですかね。

 それでも

 色々な意見があっていいのだと仰る出来た御方もいらっしゃいます。
 それはそれで正しい。

 中国みたいになったら大変だ。

 でもさ、参加するいはルールが必要だよね。それと責任。

 ルールを守らない守れない守る気のない者を、同じ土俵に上げてはいけない。

 野球をやるのなら野球のルールがあり、サッカーにはサッカーのルールがある。

 こんな簡単な単純なことがなぜ分からない。

 自由を履き違えていけません。


 私は、ルールを守らない者たちよりも
 理解ある眼差しの原則論者のほうがもっと不気味で罪深いと思うときがある。


 中国云々よりも、ここに日本の病理があります。
 非常に対照的ではありますが、
 大きな問題です。

 稚拙だ。

 


なぜ、ドラえもんを登場させる。その意味がどこにあるんだ。
弁護団