あかんたれブルース

継続はチカラかな

キレイごとではなくて本音として

 人間は平等ではく、格やランクがあると書きました。

 語弊のある言い方で、抵抗や拒絶感を持つ人もいることでしょう。

 「人間には本物、偽物、未熟者」とか「一流」とかのお話もしました。

 もう一丁。

 人間のランクには三つの階層があるといいます。これも以前紹介しまたっけね。

   見えるものが、見えない、人間。

   見えるものが、見える、人間。

   見えないものが、見える、人間。


 一番下の見えないものが見える人間っていうのが最上級というか達人の域に達した者でしょうかね。
 霊感云々じゃないですよ。念のために(汗)。

 おおかたの人が見えるものが見える人間と思うでしょう。それが違うんだよね(涙)。

 それがちゃんと見れるのなら大丈夫なのですが、
 ほとんどが見えるものが見えないのが現状です。

 見ないようにしちゃうんだもんね。それを処世と決め込んだりしている。
 これも個人主義の弊害のひとつです。

 あえて、見ないのだと。木で鼻を括ったりしている。
 それを知性だという者もいる。いや、それはボンクラ(盆暗)ってものなんだ。

 それは必ず、自分に返ってきます。これが因果応報というもの。

 小手先の知恵や世間知に奔ってはいけません。

 私たちは「傷つくこと」を怖れて、相手や物事の裏を読もうとする。
 
 そして、その裏をかこうとする。そしてまたその先の裏、その裏、裏の裏と。

 裏の裏は表であることに気づかない。目がグルグル回るだけ。

 以前、コミュニケーション能力をやりましたが、お友達数名に内緒で取材したところ、
 リアル世界ではなかなか本音の伝えられないと答えていた人が多かった。
 これも日本の民度の向上の徒花ってところでしょうか。

 本音はみんな淋しがっています。


 週末、風邪がもとで寝込んでいましてね。
 久々に杉山茂丸の『俗戦国策』を枕元に置いてウンウン唸ってた(汗)。
 その巻頭に「青年にむけて」として、

 勝ち組負け組の篩いに残った勝者であっても、
 「 人間精神上の論功行賞から云えば、全部敗北者ばかりである。
   その全身に充満するものは恐怖と杞憂ばかり 」
 
 さすが杉山先生。さらりと書いておられた。
 「人間精神上の論功行賞」という表現が上手いよねえ。人間の幸せの究極だ。

 昨日、拝見したブログに乙一原作の映画『KIDS』の紹介記事がありました。
 主題歌を槇原敬之が担当しているとか。いい記事でした。


   「Firefly 〜僕は生きていく」 作詩:槇原敬之 作曲:槇原敬之


   暗い夜の中に見つけた 小さな蛍の淡い光に 希望を見いだせる気がして
   気付けば追いかけていた 生きる意味も見つけられないような
   暗闇にいるこの僕に こっちだよと注意を 引くように飛んでいたんだ

   力になろうと夏が過ぎても ここに残ってくれていた気がした
   そう感じた素直な心に 不思議と勇気が沸いてくる

   ※冷たい風が吹く秋の空へ 恐れず僕の先を飛び 進むべき道へと導く
   淡い蛍の光のように 自分に生きていく価値を 見つけられないならば
   誰かの幸せの小さな きっかけになりたい
   だから僕は生きていく※

   太陽の下では見えない 蛍の淡い光のように
   自分がここに生きる意味など ないように思っていたけど
   同じように暗闇の中 望み絶えそうな誰かに
   君と同じ気持ちを僕も 知っているとただ伝えたいんだ

   傷の痛みにも悲しみにも 思い溢れるほど感じた孤独も
   全て理由があると分かるまで 小さな光を追いかけていこう

   (※くり返し)

   冷たい風が吹く秋の空へ 恐れず僕の先を飛び 進むべき道へと導く
   淡い蛍の光のように 自分に生きていく価値を 見つけられないならば
   誰かの幸せの小さな きっかけになりたい その理由一つあれば

   僕は生きていける



 「 自分に生きていく価値を 見つけられないならば
   誰かの幸せの小さな きっかけになりたい 」

 なんともはや、感極まるフレーズ。この世に一灯を灯す。天台宗だねえ(涙)。

 このフレーズから杉山の盟友だった児玉源太郎を想い出します。
 児玉はその師である島田先生(宗教学者)から論語の「忠恕」と共に、
 天台宗の教えを強く受けたようです。

 明治時代とは西洋から「合理主義」というものを受け入れた時代ですが、
 杉山茂丸児玉源太郎はしっかり本質把握する知性があったんですよね。

 もっと単純でいいと思います。
 本当の知性とはもっと単純で、強いもの。
 誤解を恐れずに言うならば、己を空しくすること、捨てること。
 求めるのではなく、与えること。

 それが生きることでると。思うのですが、違うでしょうか。