『国家の品格』なる本がベストセラーとなってるいるようです。
活字離れ、モラルハザードが叫ばれるなかで、ちょっと嬉しくなってくるニュースですが、
このタイトル、ちょいと一昔前なら「右翼」だの「ナショナリズム」云々と
物議を醸したかもかもしれませんな。
まあ、それは、さておき。
日本人の原点を縄文時代からさかのぼるか戦国下克上からさかのぼるか、
あんまりさかのぼりすぎると帰ってこれなくなるので、幕末明治あたりからの近代のあけぼの
あたりからがちょうど朝のジョギングあたりでよろしいのかと思われました。
幕末・維新はご存じのように薩長土肥の雄藩が革命軍にも関わらず官軍となって、
徳川軍(会津、桑名など)は朝敵の汚名を付けられれて戦い、敗者となったものです。
この後、明治政府は薩摩と長州によって藩閥政治から日本の近代化をスタートさせます。
なかでも長州は金銭にだらしのないところがあって横領贈収賄金権体質は列記の暇がありません。
これは倒幕運動中に毛利公の「そうせい」「そうせい」をよいことに、藩の公金を野放図に
活動資金に遣えたことによるもので、新政府になっても「俺の金は俺の金、お国の金も俺の金」
という感覚が残ってしまったのだとか。その代表選手が井上馨(門多)でした。
幕末から明治政府元老として生き残ったのは山県有朋、井上馨、伊藤博文の三人。
当初は薩摩出身者が多数を占めていましたが、西南戦争でその半分が倒れてしまいます。
この勢いに乗じて陸軍の実権を握ったのが山県有朋。
議会制民主主義を目指し女道楽を極めたのが伊藤博文。
利殖に奔り何をしていたのかよくわからないのが井上馨です。な。
西郷隆盛から「三井の番頭さん」と揶揄された井上馨は、明治政府樹立そうそうから
尾去沢銅山事件でミソを着け失脚。その復権に盟友の伊藤博文が奔走するものの
明治天皇はいたく拒絶反応を示したそうです。
維新での井上の働きは抜群であり、司馬遼太郎の『世に棲む日々』での高杉晋作、伊藤、井上の
「三人党」の活躍は痛快爆笑感動でした。
が、明治からの井上の評判の悪さは今日まで続いています。
井上はなんでそんなに「お金」に執着したのでしょうか?
ようやく歴史談義の様相になりましたが、なんせ、成り行きで書き込んでいるので
いいところでまとまりません。今後の課題として、この件は引き続き次回へ。