あかんたれブルース

継続はチカラかな

今日のランチは「青魚の蒸し返し」

 さて、「心と体」も一応は結論付けたことですから、ちょっと過去記事の蒸し返しをやります。

 「見えるものが見えない」と「見えるけれど、見ない。見ないようにする」

 あの後、色々コメントを頂きました。
 でね、ひとつだけ。そこから先の行動云々は言ってないんです。
 また、それを受け止められるかどうかも問題ではありません。

 端的に「見えるものが見えない」という能力の話と

 それを「見ないようにする」行為の話です。

 それが人間の格として、「下」だと言っている。だけよ。それだけ。

 そんなのを処世だと思い込んでいると、後々大きなしっぺ返しくるという
 脅しみたいなものです。

 だから、その事に心を痛めたり、戸惑う人たちはいいのです。
 それを「いい加減」なんだと悟るほうが救いがないんだ。

 蒸し返しとはこの件とは別に、

 以前、日本の閉塞感の原因を「豊かさ」として、
 ひろさちやのオッちゃんの逸話から「三枚のクッキー」の話をしました。

 一枚のクッキーで命を保てる。
 それでも貧しかった日本人はそれを半分に分け合ってその日を過ごした。
 そして、努力して、クッキーを二枚にした。
 それが、三枚になってしまった。

 豊になりました。さて、この三枚目のクッキーをどうするか?
 日本と日本人の閉塞感はここから発したとひろさちやは説きます。

 「理屈と膏薬はどこにでも付く」というひろさちやにしては
 久々のクリーンヒット。その前の毛沢東擁護暴論も許してしまいそうです。
 偉い。よく言った。

 で、私が意外だったのは、この記事、この逸話に対するコメント。
 「そんなの残りの一枚を半分にすればいいじゃないですか」という。
 そりゃそうだ。「その一枚を誰かにあげる」というのもあったね。
 それはいいアイデアだね。

 でもさ、記事に書いたように、それらは政治的な解決法である。
 そういう風にできる人はいいのです。なにも問題はない。

 私が記事で考えて欲しかったのは、それが出来ない人たちがいること。
 その多くが、今の日本人であること。
 そのことをひろさちやは言いたいが為の「逸話」だったのですから。

 で、さ。そのコメントの中に私はある「苛立ち」を感じてしまった。

 なかには例によって「難しい」とクレームを付ける人もいました。
 いや、別に難しくないよ。

 クッキー三枚の話じゃないか。それもソースはひろさちやだろ。
 仏教いやし系の書籍でひろさちやほど分かり易い著者はいません。
 ときどき暴走するけれど、私も好きです。

 ウソだよ。難しいんじゃない。

 考えたくない。もしくは、煩わしいだけなんだ。

 それに、知っている。

 人間関係でドロドロしたものとは
 「金」とか「報酬」とか「権利」とかそういった「欲」の生臭いものにあって、
 それが発端でトラブルが生じる。

 私は29歳の時に会社を設立して、共同経営者として友人を招ねきました。

 それを若い頃から懇意にしていた税理士の前川さんに強く止められた。

 「やめとけ、後で絶対に揉めるから」と。友人との共同経営は失敗のもとだと。

 言うこと聞きません。若いですかなねえ。
 心のなかではお前は税理士の仕事をしれればいいと思ってました。
 彼がどんなに、親身になって経験談を話してくれても、
 「そりゃ、お前の経験じゃないか。俺は俺の伝説を創る」なんてね(汗)。

 15年後に彼の予言は的中してしまいます。ああ、ソニーみたいになりたかったのに(涙)

 人間は金がなくても、揉めますが、
 金が出来たら出来たで、揉めるものです。

 皮肉にも、その時に私の側に立ってくれて、
 「まったく、ムシのいい話だ」と憤慨してくれて、その善後策に奔走してくれたのが、
 前川さんでした。私は頭が上がらなかったなあ。

 「前川さん、ゴメン。言った通りになっちゃったね。」

 彼は、笑って、それ以上は言わなかった。ただ頑張れとエールを贈ってくれた。

 ピカレスクロマンのキャッチフレーズは「愛と友情と裏切り」でやんす。

 よく映画なので、銀行強盗の後に必ずわけまえをめぐって殺し合いが展開される。
 幼い頃、若い頃、観てて、強欲なものだねえ。と思っていましたが
 二枚目と三枚目のクッキーにはそういったボーダーラインがあります。

 エゴ。そして、嫉妬。

 私たちはそういったものに苛まれていることを知ってはいるけれど、
 それを認めたくはないし。見たくない。できれば考えたくない。

 ましてや、お気軽なブログで話題にして欲しくはない。

 苛立ちの原因はそこにあります。

 しかし、避けてとおれるのか。

 私は自分の稚拙な記事から分かって欲しいとは思わない。そうあれば嬉しいけれど。
 でも何割かの二割でいいです。何人かの人のヒントになればいいと願います。

 答えを性急に求めてはいけない。

 よく「考える」というアドバイスが横行していますが、
 私はそうは思いません。もっと考えていいのではないかと。

 考えが足りない。その材料も少ないし、経験も視野も狭い。
 そして自分の事しか考えない。常に尺度は自分自身でそれを当たり前とする。
 それでなんとか出来るならそれもいい。

 だから、クッキーを分けられる方策と行動ができるひとはいいのです。

 あの時、私は繰り返し、そういうコメントを頭につけました。

 綺麗事だけではいかないのが世の中です。

 だからこそ、なおのこと。そう思うのだな。