「いい加減」のお腹と背中(3)
幕末から明治にかけて、この武士道というか「武士」「武人」を
強く意識して、それを体現した集団と人物が2つ。
ひとつは新撰組。
近藤はじめ、土方や沖田は多摩の農民の出で武士じゃなかった。
武士になって栄達したかったんですね。一国一城の主。
まあ、近藤だけかもしれませんが、そういった時代の潮流があった。
善し悪しは別です。
それに命を賭けたのだから、清い。潔い。ファンも多いです。
私は好き嫌いを言っているのではありません。
司馬遼太郎は『竜馬がゆく』を書きながら同時に『燃えよ剣』を書いています。
その『竜馬がゆく』では新撰組の在り方に疑問を投げかけつつも、認めてはいる。
もう一人は乃木希典。
彼は士族出身だけれど、武人になりたくかなかった。文人作家になりたかった。
けれども時代と環境がそれを許しません。
気が付けば、吉田松陰との縁続きとかで長州閥の一員になってしまっている。
その彼が、強く武人武士道にこだわる人となるのも
こういった苦手意識とかコンプレックスだったかもしれません。
日露戦争後に学習院大学の学長となった彼は自分の出自にこだわります。
武士でなかったもの、武士に向かないと思ったもの、
それぞれが、だから余計に武士にこだわる。
そういう武士道ってなに?
かたや渋沢栄一のように庄屋子から武士になって武士に見切りをつけて商人になる者。
竜馬なんかもそうですね。
勝海舟は幕臣でしたが、そういった武家社会にうんざりして
その終焉の後処理をした。そういう人もいます。
竜馬や勝海舟に「武士道」って当てはまるのか。
私にはまったくピントきません。
そうそう、二人とも剣術の達人だったけれど、まったくそれを使っていない点も
面白いですよね。