「いい加減」のお腹と背中(2)
ネットとかで、何かを議論したり、白黒決着の場の材料にとかに
「言葉」が一人歩きしているシーンを目撃します。
たとえば、現在の日本人の在り方を嘆き、懐古的な意味を込めて
「武士道」とか「武士道精神」なんかを持ち出す人は多い。
まあ全面的に反対はしないけれど、少しソワソワします。
「武士道」って言葉や精神ってホントに存在していたのか?
単なるイメージでそういった虚像を、
現在の矛盾にぶつけて解決させようというのは「稚拙」で、
しっぺ返しを喰らうもとになりかねないものです。
たとえば、「武士道」っていうものは
キリスト教国でない日本人のモラルの在り方を危惧する外人に
新渡戸稲造が理解させようと作ったテキスト。のタイトル。まず、ここから。
読んでみるといいです。すごく良い本です。
とは別に、
荻生徂徠(おぎゅうそらい・元禄の頃の学者)に言わせれば
「武士道?なんじゃそりゃ?人殺しの道か。。。」という塩梅です。
武士たち自身が武士道なんてよく理解できていなかった。
で、迷ってしまう。元々は兵隊ですから有事じゃない時は無用です。
そこで『葉隠』なんかが生まれたわけですが。
(ここで定番の揚げ足取りは男色を持ち出す輩。もうワンパターンでウンザリ)
今の政治家とか官僚役人を批判する人が「武士道」をあげるのは間違い。
だって、その役人たちこそが「武士」だったんだな。
結局、武士道は家康が心配した通り、「商人道」に破れてしまいます。
借金が借金を生み踏み倒し「これも武士道」。それでも商人に破れた。
幕末とはそういう時代ですかね。
いまの自治体の姿と同じです。役人=武士。
だから、武士道を後生大事に言い募るは「とっても危険」。矛盾が即で破綻する。
そういったなかで、救われたのは日本の地方分権制度で地方にはたくさんの
質素で素朴で教養豊かな実直な「武士」が存在していた。
これがすべての原動力です。さて、そのモラルは宗教か思想か学問か?
こっちの方からのアプローチのほうが有意義だと私は思う。
明治という新しい時代に、武士は何処に行ったか? 警察関係に行った。
兵士は民間徴兵だったので平民。
指揮官は武士出身が多かったけれど、最初は薩長中心です。
そのなかで、これぞ武士という人物をあげれば、まあ色々あるけれど、
たとえば、児玉源太郎。
この人は、武家社会でイジメに遭って、そういった武士道が大嫌いでした。
たとえば、山本権兵衛。
この人は不良で相撲取りを目指し、遊郭から救い出した恋人を妻にして、
女性禁制の軍艦に彼女を乗せた。
たとえば、その上司だった西郷従道
旗艦「三笠」購入の予算を気に病む権兵衛に文部省の予算チョロまかしを勧める。
そして彼の宴会十八番は「裸踊り」。
たとえば、秋山好古。
騎兵隊の父として育て上げた自らの騎兵部隊を下馬させてロシアのコサック騎兵と戦った。
そして、部下に決して自決をさせなかった。
こういった英雄たちの所業を、簡単に「武士道」なんて括らないでくれ。
頼むよ。
それよりも、日本人を語ろう。
みんな武士だけじゃなかった。農民もいれば職人もいたし、商人もいました。
言葉遊びではなく、本質の考察として