死の禁じ手と価値観の変容
週末は武士道の死について(2)
話を戻しましょう。
「葉隠」が著されたのは江戸時代中期(1716年頃)です。
これは元々従業員ご奉公マニュアルです。鍋島藩の。
この時の主従の主とは藩主ですよね。
この後に幕末の政争で藩主の命令からたくさんの切腹者を出しました。
武士はみな主人には忠実で、「切腹!」と言われると「はい!」と素直。
でもね、そこで誰がホントの主人なのかと考えだしてきた。
尊皇思想。
幕府が瓦解したときに
幕臣の切腹者は川路聖謨(としあきら)だけだったといわれいます。
対して、太平洋戦の敗北によっての自刃者は520余名にのぼるそうです。
勤皇の志士というものはその忠誠を藩主ではなく
天皇にあるのだとしました。
しかし、それが即、明治の軍人に受け継がれて
太平洋戦争まで一直線だったかというとそうでもない。そんな単純じゃない。
そこまで、「死」を単純に考えませんよ。普通。
司馬遼太郎は乃木希典を高級軍人として、有能無能という観点から批判しました。
私は乃木を旅順攻略だけで批判するのは酷なような気がしますが、
ただ、彼の生死観には大きく疑問を感じます。
乃木はなにか大きな問題に直面するとすぐ死をもって決しようとする。
これは武士道の名を借りた逃避行動でしかない。
軍旗を奪われて死のうとする。(当時でも異質な発想)
旅順攻略がうまく行かないので死のうとする。(無責任ではないか)
明治天皇が死んだので殉死する。(賛否が分かれる問題行動)
それでも「死」がまつわるので比較的同情的なのだ。でも甘い。甘いなあ。
乃木と同時代の同じ年齢同クラスの将官。
上村彦之丞(中将)は第二艦隊を指揮した海軍軍人です。
彼は戊辰戦争の経験から後輩の鈴木貫太郎(後の太平洋戦争終戦時の総理大臣)にこう教えている。
「 戦争という極限状態では死にたくなってしまうから気をつけろ 」
戦争というのは人間にとってストレスの究極状態にあります。
ただ戦うことだけではなく、眠ることもできず、空腹や暑さ寒さ、そして疲労と恐怖。
そういうなかで人間は兵士は「死」を選択してしまう。
指揮官とは、そうさしてじゃいけない。と上村は教えているのです。
こういった考えは日露戦争までなら将官クラスには浸透していた。
所謂、戊辰戦争や西南戦争を体験した者達です。武士として。
当然、乃木もそのなかの人間ですが、彼はそれが分からなかった。
そして、彼の精神論が利用されて、昭和陸軍に受け継がれていきます。
戦果よりも死ぬことに意義がある。
これが太平洋戦争での「特攻」の戦略でした。