あかんたれブルース

継続はチカラかな

最後の武士道

「いい加減」のお腹と背中(武士道完結編)



 今日は「武士道」についての決着です。

 なんで、こんなに「武士道」にこだわるのか?
 いいじゃないか。そう悪いものでもないし、美学なら。
 そこまで目くじら立てなくったって、と自分でも思います。

 でも、テコでも動かない。

 昨日、トイレで唸ってたら解ったよ。(解ってなかったのか!)

 「武士道」って「仁義」に似てるな。

 「仁義」は「仁」と「義」。論語からの発祥ですかね。やくざのお題目です。

 やくざを語らせたら少しうるさい。

 仁侠道とか、侠客。この侠客も中国からのものです。

 やくざが江戸期に武士が変容して生まれたことは以前記事にしました。
 
 さて、いま「仁義」って言葉を聞いてどう感じますか?
 確かに大切な思想ではありますが、
 大方は「仁侠道」と共に暴力団大義名分になっている。

 一般の社会人の世界でも「仁義を通す」と使われていますが、
 どこかにストイックで筋論ですよね。

 「武士道」論を展開させるうえで、それとこれとは違う。とか、たとえば
 太平洋戦争の「特攻」と武士道は違いとか区別をしているでしょう。
 それはそうだと思います。でもね、

 たとえば、「仁義」をやくざに置き換えて、
 良いやくざ悪いやくざと区分けしても意味がありません。
 清水の次郎長は仁侠精神があって仁義があって良いやくざ。というのと変わらない。
 じゃあ、黒駒の勝蔵は悪いやくざなのか? そんなアホな!
 
 私は近代やくざの祖・吉田磯吉であれ、三代目山口組・田岡一雄であれ、
 最後の博徒・波谷守之であれ、立派だなあと感心するやくざはいる。
 でもさ、やくざはやくざであることは否定できない。

 それ以上に、どうしようもないやくざはたくさんいるわけだ。
 どこの世界も同じです。

 『仁義なき戦い』という映画のおかげで、どうにか「仁義」という言葉には
 ストッパーがかかってくれています。が、
 なんとなく「武士道」って言葉は手放しでもてはやされて
 待望されている。
 
 私が嫌のは、歴史的にみて
 「仁義」も「武士道」の利用されてしまう。ことですね。
 
 「武士道」を個人的な生き様、ダンディズム、姿勢としました。個人的な、です。
 しかし、
 それを強要させる。利用しようとする者たち。
 納得したい者たち。

 「武士道」の生まれた時期にも関係するのでしょうが、
 尊皇・攘夷思想と合体してしまうことからか、テロに奔りやすい。
 
 新渡戸稲造の「武士道」はそんなものではなかったのですが、
 「武士道」が一人歩きしたことは間違いありません。

 いま、私たちはそれをきっちり咀嚼ぜずに、
 「なんとなく武士道」で待望している。これは「仁義」より始末が悪い。
 (もしかしたら『国家の品格』じゃなくて『ラストサムライ』の影響か?)

 安易に口に出してはいけないのかもしれません。
 空論のもとになるし、非常に危険です。暴徒化しやすい。

 それと、明治人と現代の私たちの考えには100年以上の開があります。
 戦前戦中と明治のギャップも大きい。そういった実例はヤマほど出せます。
 もっと、明治人のメンタリティーや合理性を知るべきだとも思います。
 

 じゃないと、「武士道」は絵に描いた餅になってしまい、
 利用されて、暴走する。

 武士道以前に、日本人として、
 国家の品格は個人の品格から  まずそこから



 この件、これでお仕舞い。かな
 ホントはね、わりと好きなのよ「武士道」って(汗)