あかんたれブルース

継続はチカラかな

師匠、遅くなりました(汗)。

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杉山茂丸伝(1)




 ブログを始めて半年ほどたった頃、
 馬太郎に師匠と崇める方が誕生しました。

 「おくらこ」様と申します。

 その幕末の知識と資料は参考になるなる大辞典。

 「おくらこ様、是非に私をお弟子の末席に!」

 「勝手におし」

 ところが、それから三月も経たないうちに師匠は引退を決意する。

 「来年は受験生だしい」

 えっ?受験生? 大学受験? なに?高校受験?
 おくらこ様、あなたはもしや中学生? しかも中学2年生!

 世の中ひっとすると、ひょっとする。と申しますが(汗)。

 さて、そのおくらこ様が不肖馬太郎にこう苦言を呈された。

 「なに?杉山茂丸。ああ、ホラ丸ね」

 「・・・」

 そうなんです、
 近現代史に造詣の深い人ならば、「杉山茂丸=ホラ丸」となるかも。
 これは杉山を当時の風刺雑誌「丸々珍問」などが
日刊ゲンダイみたいなもの東スポーツかなあ、それともナイタイ)
 悪口をかき立てていた影響でしょうか。

 これならまだいい。
 杉山を頭山満の子分として玄洋社の社員だとか。
 右翼、国粋主義者と決めつける。

 そんなの事実無根。
 杉山茂丸ってそんなケチな悪党ではございません。

 まっ、話せば長くなるので、百聞は一見にしかず。
 一枚の写真を用意しました。

 上の写真は、
 日露戦争奉天会戦の後、そろそろポーツマス条約近づいた頃だ。
 満州の総司令部を訪ねた杉山茂丸(向かって左)と児玉源太郎のツーショット。

 なぜ、ここに杉山がいるのか?

 明治天皇の「御沙汰書」をもって
 満州総司令部を訪問した山県有朋参謀総長
 それに同行した唯一の民間人。

 それが杉山茂丸だ。

 彼がホントにホラ丸だったら、
 軍事下の満州の前戦総司令部にノコノコ出入りなんてできません。
 満州軍総司令部参謀長の児玉源太郎大将とツーショットなんて無理。

 児玉と杉山は日露戦争の6年前に二人だけの秘密結社を作り、
 のちに桂太郎を入れて桂内閣を発足させのです。

 日露戦争の勝利には希代の戦略家・児玉源太郎の存在が大きい。彼がすべて。
 といっても過言ではない。
 その影になって、杉山茂丸という黒子が存在していました。

 このことを師匠に伝えたかった。。。
 おくらこ様は、いまは高校一年生。
 楽しいキャンパスライフ。
 クラブは決まったかしらん?
 カレ氏できたあ?






下の写真は満州総司令部を訪れた山県を囲んで
左から黒木第一軍司令官、野津第四軍司令官、東京から来た山県参謀総長
大山満州軍総司令官、奥第二軍司令官、乃木第三軍司令官、児玉満州軍参謀長、川村鴨緑江軍司令官。
この時、この場所に、杉山はいたわけです。
戦後の満州経営を児玉に相談されていました。