あかんたれブルース

継続はチカラかな

魔人の初体験

イメージ 1



杉山茂丸って何をしたか。

最初にざっくりとネタばらしをしておきましょうか。

日本興行銀行ってあるでしょ。現在はみずほ銀行と合併していますが、
高杉良の同名小説が有名です。
多くの経済人を輩出させたもの凄い銀行でした。中山素平とか

この銀行の設立の言い出しっぺが杉山茂丸です。
日本を経済的に自立させるには「工業」が重要。
松方内閣の頃、その必要性を認めさせて日本工業銀行を訴えた。
そして、最初の構想では外資導入に最大のポイントがあった。
で、単身渡米して、J.P.モルガンから資金引出に成功しちゃう!

残念ながらこの低利融資の新銀行は、国内の高利貸し銀行の反対にあって
外資導入案は却下の憂き目となりますが、
日本工業銀行は1902年に設立されます。

大阪毎日新聞の創刊に携わり、京釜鉄道の引受に奔走。
台湾統治の児玉源太郎総督のコンサルタントとして、台湾のインフラに努め、
台湾銀行を設立させた。
伊藤博文の政友会誕生には杉山の資金調達が成功要因です。

そして、児玉源太郎と二人だけの秘密結社をつくると、
後に桂太郎を入れて桂内閣を誕生させ、日英同盟の仕掛けを作り、
日露戦争を勝利に導く。
というのは、奉天会戦後に、陸軍の機密漏洩事件をいち早く察知して、
これを総司令部参謀長児玉源太郎に通達。
この報がなければ、日本はポーツマス条約のタイミングを失い、
大敗北の憂き目にあうところだったのです。
戦後の満州経営の草案を考えたのも杉山。

さらに、幼友達明石元二郎大佐のロシア攪乱作戦と平行して
レーニンを封印列車に乗せてロシア革命を決定づける。

きりがないですね(汗)。

博多湾築港とか関門海峡鉄道トンネルも杉山がやりました。

とうてい書ききれない。

だから、魔人なのです。

で、上の写真は若き杉山です。21歳のぐらい。明治17年の頃

若くてもタダものじゃない面構えをしてるでしょ。
翌年、伊藤博文暗殺未遂事件を起こします。

この頃は銀座の下宿屋に逼塞していた。クスブリ時代。毎日ゴロゴロ。
引きこもり。ニートの志士だ(汗)。

で、男はやるときはやるんだよ! 

と新聞売り子をにチャレンジしたのが、この写真です。

でね、さて、ここで、
「これは今日の『絵入り朝野』、大付録がついてタッタ1銭5里」

と言わなければならな。

これが、言えない。

街角に、ぽつん と。新聞を抱えた杉山青年。顔は既にオヤジですが。

顔面蒼白脂汗。怒鳴らないと新聞は売れない。でも無理。無理無理。

結局、下宿屋に帰ってきました。 すごすご とぼとぼ

そして、大の字に寝ころんで

色々なことを考えます。武士道とかね。

で、これで声を出せなかったら、死のう、切腹してしまおうと
この世あの世の分かれ道だと決意して、再び外にでる。

そして、怒鳴った。

その声に、「竹屋」という待合いの格子窓から女の声が・・・

「新聞屋さん・・・」

その声にドキンバキンドッカーンとしたそうです。
まるで初恋のマドンナに声をかけられてように。

これが杉山の始めての商売。

こうやって、人間は大きくなっていくんです。
どうしても、出来ない事ってあるんです。だれでも。
そして、ブルブル震えて脂汗をかいて、一歩前に踏み込む。


ファイト! 戦う君のことを戦わない奴等が笑うだろう。
ファイト! 冷たい川の坂道を震えながのぼって、いくのだ。