人と人との不思議な因果ドミノ
杉山茂丸の最初の大仕事は、地元福岡の県令(知事)に
安場保和を就任させることでした。
安場は熊本出身で横井小楠の門弟で四天王と謂われ、
当時は愛知県令を経て元老院議官を努めていた気骨の人。
後に、杉山の盟友となる後藤新平の岳父でもあります。
杉山は、この人物なくしては、九州福岡は定まらないと考えたのです。
そして、説得にかかる。が、なかなか首を縦に振らない。
冗談じゃない。福岡なんて玄洋社という暴力集団がいる所にいけるか。です。
杉山の特技に人の説得というのがあります。
自分の首を担保に佐々友房から大金を借用したように、
山岡鉄舟から伊藤博文への紹介状をせしめたように、
ここでも安場を説得させてしまう。
安場の条件は盟友山田顕義の合意が得られれば、というもので、
早速、旧知の後藤象二郎から紹介を受けて山田を説得。
(ここでも杉山の絶妙な交渉術が発揮され)
そして、安場を福岡県令に引っ張り出してしまう。この手腕は見事至極。
そして、安場と頭山満を引き合わせる。
官憲嫌いの頭山でしたが、なぜか安場とは大いにウマが合い。
また、安場が頭山に惚れ込んでしまう。
人の縁とは面白いものです。
これによって、県令と玄洋社とがしっくりいくようになります。
同時に、玄洋社は食い詰めた無頼集団から福岡県の許可のもとに
松ヤニ採取の実業の道を得て、そこから炭坑経営に乗り出していきます。
杉山の意図は玄洋社という過激集団を
経済的な自立から暴徒化することを抑制したかった。わけです。
当時、九州には海軍の予備炭坑がいくつもあり、その開放を杉山は託されます。
これが、彼を香港に向かわせる切っ掛けとなる。
明治25年つまり彼が25歳から毎年香港にいくのはこの石炭売買のためです。
杉山は現地の領事館を出入りして、中川恒次郎領事と懇意になると、
経済財政の知識を吸収していく。
これが後に、彼を「経済に明るい志士」と認めさせる切っ掛けになります。
中川領事はさらに、英国商人・シーワンなどを紹介。
そして荒尾精を知った杉山は国際情勢、とくにアジア・中国通の
スペシャリストに成長していくのでした。
写真が安場保和。気骨のある「親切」な大酒飲みです(笑)。
後藤新平は少年の頃から目をかけられた。