「これでいいのだ」赤塚不二夫
予定を変更して(どんな予定だ?)
もう一本、赤塚不二夫を語らせて!
人間がその第一戦で活躍できるのって、どれくらいでしょう?
個人差がありますから一概にはいいきれませんが、ずっと栄光に輝くなんてレアです。
芸能界でも一発屋で終わる人もいれば、
サザンや中島みゆきのように息の長い人もいる。
あのナポレオンでも人生のどん底から自殺未遂。
そしてどんでん返しの栄光! ぴったし20年。そして失墜の終演を迎える。
赤塚不二夫は生涯もそんな感じでした。
デビューが1956年。その6年後から大ブレークします。
そして、1970年代なかばから・・・
まったく描かなくなったわけではありません。
でも黄金期の勢いはピタッと停止した。燃焼し尽くしたのかな。
口の悪い人なら「過去の財産」で生きている。というかも。
アル中だってことはみんな知っていたでしょう。
よくテレビとかで世話になった人たちが
面白可笑しく赤塚先生の近況を語っていましたね。
でも、暗くないんだよね。
昨日、コメントを頂いた北摂グルメさんのブログをお邪魔したら
赤塚先生との生前のリアル世界でも交流を紹介されていました。
北摂グルメさんの 「赤塚不二夫、死去」
http://blogs.yahoo.co.jp/hayuku2020/43505363.html
まさに、こんな感じです。
タモリの証言で、赤塚先生が歯を全部抜こうかと迷っていたそうです。
「そこでおもむろにニカッって笑うとウケるんじゃないか」と
タモリは
「先生、そのギャグは一回しか通用しませんよ。
それで歯を全部抜いちゃうと一生不自由しちゃう」と止めたとか。
「そうか・・・」
赤塚不二夫はそれで断念したそうですが、そういう人です。
赤塚不二夫の天才とは、彼の偉業や栄光とは別に、
その後の彼の生き様に見いだせるのではないだろうか。
これでいいのか?
「これでいいのだ」
自由人。どうしようものない酔っぱらい。でも全然偉そうにしない。
人の面倒をよく見ていました。優しい人。
同じく天才と謂われた手塚治虫先生とは対照的です。
手塚先生は最後までコンプレックスと戦っていました。
これもまた聖人ではあります。
どちらが良い悪いの話じゃなくてね。
赤塚不二夫っていう酔っぱらいのアル中の聖人がいた。
彼は天才であった。
そして彼は言う。
「これでいいのだ」
赤塚不二夫の福音が聞こえるだろうか。
理屈ではなく、生き様として
優しくて、どうしようもないひと。天才、そして聖人は微笑みます。
「これでいいのだ」