危機感 いや老婆心? 戯言?
先日、kちゃんの剣道の合宿に妻が同行して私は一人で留守番。
鬼の居ぬ間にレンタル屋に奔ってDVDを借りてきた。
ちょっと、待て。変な想像をしちゃあいかんよ(汗)。
まあ、R指定ではあるけれどね(笑)。
『Deep Love アユの物語』で、やんす。
カリスマ携帯小説家・Yoshiの作品の劇場版です。
私は携帯ではメールも留守電も写真もネットもなんにも出来ない。
だから、こうするしかなかったんです。(なにが?
活字離れと言われて久しいなかで
爆発的なヒットというものに興味がありました。
で、その感想は、というと。
はたして、どんなものだろう。ちっともピントこなかった。
実は、その前の週に同じ作者の原作で『Dear Friends リナ&マキ』を鑑賞。
これがイマイチだったので、リベンジだったのです。
もしかして、私の感性ってすれっからしになっちゃったのか。
感受性の加齢。枯れたパッションジェネレーション断層断崖絶壁。
『Dear Friends リナ&マキ』は難病物。
高校生でモデル、クラブの女王で「友達は利用するもの」と豪語する
主人公がガンを発病。それを支える友だち、病院で知り合った少女との
交流から命と絆の大切さを描いた作品。「友だちっていいよね」です。
『Deep Love アユの物語』は絆と純愛物。
人間不信で援交を繰り返している主人公に疑似家族が出来ます。
主人公とおばあちゃんと子犬。身寄りのないこの共同生活でアユは変わる。
おばあちゃんの死からかつて彼女が育てた捨て子の少年と出会い、
彼の心臓病移植手術のために援交を再開して、エイズで死ぬ。
無償の愛、純愛。どちらの作品もテーマ性あるものだ。が、、、。
まあ原作の映画化ですから、演出等でコケたり外したりする場合は多い。
でもさ、そういう問題じゃなくって、この設定にリアリティーを感じない。
こんなこと有り得ない。っていってるんじゃない。
むしろ、現実にはもっと凄い話があります。
なんていうのかなあ、「作りモノ」っぽいんだよね。
そりゃ、小説だから。。。いや、小説だからって、そんな言い訳は通用しません。
それでど大ベストセラーだそうです。読者は違和感をもたないのかな?
そんなときはヨッシー先生に相談です。
「もしもし、先生。実は最近、悩んでいます。」 先生の答えはこうだ。
「 携帯小説は普段小説を読めない中・高生にも読めるように簡単なストーリーです。
普通の本好きには全く面白くないでしょう。 」
なるほど、読者層に合わせたわけですね。
でも、ここまでしなければ、わからないの?
で、なにをわかったんだろう。
ここまでしないと伝わらないものなのか?
そのための弊害ってあるだろうに・・・
そんなの読者の勝手。馬太郎なんかが心配することじゃない。のですが。
まあ、これで少しでも活字に親しんでくれればいいのですが・・・
つ〜たんが「手紙(文章)は嘘をつかない」と書いていた。
そうだよね。同感。
私は文章フェチで、ブログなどに綴られる文面にグッときたりします。
でもさ、行間を読むって言葉もあるけど、疑問を感じるときもある。
私の行間を読んでくれているだろうか?
また深読みされ過ぎるケースもあるよね。
仕事柄「万人向け」を強要される者として非常に焦りを感じます。
活字離れっていうのは出版社の経営不振の第一の言い訳ですが、
それ以上に、なにか恐ろしいものを感じます。
別に小説をどれだけ沢山読んだかなんかで偉くもなんでもない。
ぶら下げたIDカードに「知的」と書かれた人たちが
「小説などは一切読まない」という言葉をよく聞きます。
でもねえ、なんか微妙。
真実を綴った手紙や文章を読みとれない。これは痛いよね。
で、Yoshiさんのアプローチに感動は生まれる。わけだ。
「いいじゃ、ないですか」
なにがいいんだ?
おい、そんなに物分かりよく言うなよ(怒)。