言葉について(4)
以前、「因果」についてお話しましたよね。
これは霊的なものも宿命でも業などでもない。その要因から結果生まれる。
それだけのこと。という内容でした。
言動すべての要因から、結果が現れている。
言葉も同じです。
こだまのようにかえってきます。
それでも、間違った風説は流布されている。
「正直者は馬鹿をみる」とかね。
私たちは自分の本音を隠すことが大人の生き方だと思い違いをしてしまっている。
もちろん、その正直や本音の中身も問題なのは確かですけどね。
性急すぎるのでしょうか。それとも忙しすぎる?
煩わしさや面倒なことを嫌がり、断定し過ぎるのかもしれません。
ついつい言葉にも苛立ちが生まれてしまいます。
合理的にたちふるまって得たはずの時間を持て余してしまう場合もある。
自分の発した言葉をふりかえって、見失ってしまいそうな自分がいると
途方にくれてしまいそうです。
内と外の自分。
どちらも自分なのですが、そこにギャップを感じてしまいます。
カタチや表情は違っても、どちらの本質は自分であってほしい。
正直というのは、そういうことだと思います。
人間は本来、善良に出来ています。
気持ちよく生きるとが幸せに生きるということ。
そういう言葉をどれだけ、発せられるか。
そういうことではないでしょうか。
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